ジョン・ハリソン - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3/24807
John Harrison's wooden clocks - part 1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bUxZlSVEAk0
振り子時計の脱進機 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=uOlZbHWHFJY
塔時計 Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A1%94%E6%99%82%E8%A8%88&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=bqgRUvWVEsSulAXq9YDQAg&ved=0CEMQsAQ&biw=1030&bih=626
振り子時計の仕組み 振り子時計空間
http://www.hurikodokei.com/system/
ジョン・ハリソン (時計職人) ウィキペディア(Wikipedia)より
ジョン・ハリソン(John Harrison、1693年3月24日 - 1776年3月24日)は、イギリスの時計製作者である。渡洋航海に必要とされる経度の測定が可能な精度をもった機械式時計(クロノメーター)を初めて製作した。
ヨークシャー州フォルビーで木工職人(Carpenter の訳語)の息子として生まれた。6歳の時、天然痘にかかって静養していた折に父親が贈った時計の動きに心を惹かれた。成長すると、父親の仕事を手伝いながら、独学で物理学や機械工学を学んだ。1713年に大工仕事の合間に自力で時計の製作を行ない、その時計の性能の良さが近所の話題となり、彼に時計の注文や修理の依頼を頼む者が相次いだ。このため、いつしか時計の仕事だけで生計が立てられるようになった。1722年頃にはグラスホッパー脱進機を発明している。
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『近代発明家列伝――世界をつないだ九つの技術』 橋本毅彦/著 岩波新書 2013年発行
ハリソン――世界時刻の計測 (一部抜粋しています)
時計職人であったジョン・ハリソンが経度測定の問題を意識するようになったのは1727年頃、30代半ばのことである。ハリソンはイングランド北部ヨークシャー北部で大工の子として生まれた。一家は後に北海にほど近いバロウに居を構える。ハリソンは早くから機械工作の才能を発揮し、時計の修理や製作に携わっていた。
1720年頃、ハリソンは貴族の厩舎の塔時計の製作を依頼された。室外で動き続ける塔時計は、室内の置き時計とは異なる動作条件をクリアしなければならない。時計の部品といえば、金属製の歯車などを想像するが、ハリソンはあえて金属部品を使わずに木製の歯車を使うようにした。鉄は湿気が多いと錆びてしまうので避け、金属部品が必要な箇所は錆びにくい真鍮(しんちゅう)を利用した。
ハリソンは時計製作に専念する前は建具師を職業にしており、木材の性質をよく心得ていた。可動部分の材料にはユソウボクと呼ばれる中南米熱帯地域原産の木材を使用した。樫の木よりも重く硬いこの材木は、油性分を含んでおり、注油しなくても摩擦を軽減することができた。ハリソンは歯車の軸に真鍮を使い、ユソウボクをその軸受けに利用して、大きな摩擦が生じる軸受け部分での錆の発生や潤滑油の劣化を防ぐことができた。
ハリソンは脱進機にも工夫をこらした。振り子のコチッコチッという音は、振り子と歯車が噛み合う脱進機が発する音である。それまでの脱進機は、振り子上部のT字形部品の左右の爪が歯車と単純に噛み合う仕掛けになっていた。
塔時計の動作を確実にするために、ハリソンは時計の可動部分を駆動するために強力なゼンマイを利用したが、それだけ脱進機にも大きな力がかかり、摩擦も大きくなった。脱進機には最初潤滑油を利用していたが、そのような時計では数ヵ月のうちに動作が悪くなり、再度注油しなければならなかった。そこで彼は脱進機の構造自体を改良し、注油不要の仕組みを作り上げた。
1つは、「バッタ(グラスホッパー)」式と呼ばれるユニークな構造をした脱進機で、それはバッタが歯車のまわりを飛び跳ねるように動作することからそう名づけられた。それまでの「アンクル式」の脱進機は「錨(アンカー)」を逆さにしたようなT字形の脱進機と歯車が噛み合うものであるが、「バッタ式」は「バッタの前足と後足」のような部品が交互に跳ね上ったり着地したりすることで、歯車の歯を送り出していく。振り子振動する部品を3つ組み合わせ、2つのアンクル式脱進機の支点そのものを振り子振動させたことで、脱進機と歯との噛み合わせをよりスムーズにし、摩擦を大幅に低減させた。
さらに、ユソウボクを軸受けだけではなく、脱進機と噛み合う歯車(雁木車)や、その軸ともう1つの歯車との噛み合いに対しても使用、これらの部位にはベアリング機構を備えさせたが、そこにもユソウボクを使用した。こうして潤滑油を使うことなく摩擦の小さな機構を作り出すことに成功した。
このように随所に新しい工夫を組み込んで製作されたハリソンの塔時計は、驚くことに現在に至るまで動き続けている。
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ハリソンの高機能の航海時計は、その複製が時計師ラクラム・ケンドールによって作られることになった。ケンドールは2年半をかけて、その複製品K-1を製作した。K-1のグリニッジ王立天文台における性能実験の結果は必ずしも芳しいものではなかったが、ちょうど2回目の航海に向かおうとしていたジェームス・クックによって携行されることになった。クックは帰国後、航海中K-1が大いに役立ったことを証言した。
クック船長が帰国して8ヵ月後の1776年3月、ハリソンはロンドンの家で息を引き取った。
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