じじぃの「人の死にざま_544_大杉・栄」

大杉栄 - あのひと検索 SPYSEE
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中森明夫×美甘子】龍馬の次は大杉栄 !? 史上最強の革命児を語る 動画 日刊サイゾー
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作家別作品リスト:大杉 栄
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安曇野を歩く
http://www.shimintimes.co.jp/yomi/aruku/143.html
大杉栄 ウィキペディアWikipedia)より
大杉栄は、思想家、作家、社会運動家アナキスト伊藤野枝との子に長女・魔子(のち真子)、次女・エマ(のち幸子)、三女・エマ(のち笑子)、四女・ルイズ(のち留意子)、長男・ネストル(のち栄)がいる。次女エマ以外は大杉・伊藤の死後、伊藤の実家に引き取られ、戸籍を届けるときに改名されたものである。甘粕事件で殺害される。
自由恋愛論者で、居候中に堺利彦の義妹堀保子と結婚するが入籍せず、神近市子に続き、伊藤野枝とも愛人関係となって、野枝は長女魔子を身ごもった。女性達からは常に経済的援助を受けていたが、野枝(とその子供)に愛情が移ったのを嫉妬した市子によって刺された日蔭茶屋事件では大杉は瀕死の重傷を負った。
【生涯】
父の大杉東は大日本帝国陸軍の軍人、親戚にも軍人がいるという家庭環境で、香川県丸亀で生れる。
1905年(明治38年)3月、週刊『平民新聞』の後継紙である『直言』に堺利彦が書いた紹介記事によりエスペラントを知り、1906年明治39年)から翌年にかけ東京市本郷にある習性小学校にエスペラント学校を開く。
1920年大正9年)、不景気下で労働争議も増え大杉の活動は広がる。クロポトキンの著作翻訳、前年からの演説会もらい、メーデーを前にしての事前検束もされる。夏、コミンテルンから「密使」の訪問があり、10月、密かに日本を脱出、上海で開かれた社会主義者の集まりに参加。12月9日、社会主義者同盟結成に向かい鎌倉の大杉宅に地方からの出席者を中心に40名余り集まる。
1923年(大正12年)、大会がたびたび延期されフランスから国境を越えるのも困難になる中、大杉はパリ近郊のサン・ドニメーデーで演説を行い、警察に逮捕されラ・サンテ監獄に送られる。日本人、大杉栄と判明、そのまま日本へ客船にて強制送還、7月11日神戸に戻る。滞仏中から滞在記が発表され後に『日本脱出記』としてまとめられる。東京に落ち着き、8月末にアナキストの連合を意図して集まりを開くが、進展を図る前に関東大震災に遭遇。
9月16日、柏木の自宅近くから伊藤野枝、甥の橘宗一と共に憲兵に連行され殺害される(甘粕事件)。殺害の実行容疑者として憲兵大尉の甘粕正彦と彼の部下が軍法会議にかけられる。公判内容は毎回新聞報道された。実行者としての甘粕と森は有罪判決となるが(服役中、刑期を短縮される)、戒厳令を発した国家権力と軍自体の責任は問われることはなく甘粕による個人犯罪と結論。国家と軍隊への責任追及が曖昧なまま今日に至る。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
大杉栄(おおすぎさかえ) (1885-1923) 38歳で死亡。 (一部抜粋しています)
大正12年大震災後の9月16日、無政府主義者大杉栄は、妻の伊藤野枝とともに、大森の実弟大杉勇を震災見舞いにゆき、同家にあずけられていた末妹の子で7歳になる橘宗一を連れて、午後6時ごろ新宿柏木の自宅近くまで帰り、ある果物屋で果物を買っているとき、数名の憲兵に拘引された。
その隊長は憲兵大尉甘粕正彦で、彼はかねてから社会主義者を「国賊」としてダカツのごとく憎み、特に大胆不敵で戦闘的な大杉に眼をつけて殺意をいだいていたものであった。
2台の車に分乗させられて、麹町平河町憲兵隊本部に連行された大杉は、1人だけ1室にいれられ、憲兵曹長森慶次郎に訊問されていた。
午後8時20分ごろ、そこへ音もなくはいっていった甘粕大尉は、声もかけずにその背後から大杉ののどに右腕をまわして絞めつけた。
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甘粕は右ひざがしらを大杉の背にあてて、10分ばかり絞めつづけて、ことこれた大杉をさらに麻縄で閉めてとどめをさした。ついで甘粕は別室に向い、伊藤野枝、少年宗一も絞殺し、屍体は憲兵隊本美の古井戸に投げ込み、石煉瓦や石やごみで埋めた。
もう少し生かしておきたかった快男児の一人である。
この虐殺をあえてした甘粕正は、僅か2年10ヵ月で釈放され、満州に渡り、やがてそこの実力者となった。

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大杉栄 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&um=1&ie=UTF-8&source=univ&sa=X&ei=UvZ6TbDBGpCougO65NTSBw&ved=0CCsQsAQ&q=%E5%A4%A7%E6%9D%89%E6%A0%84%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbs=isch:1

じじぃの「モルモット精神が日本を救う!これからの日本に必要な能力とは」

宇宙から見た地球/The earth seen from space 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=SDxniIH_4B0&feature=related
焼け野原から大志を抱き、ソニーを創った不屈の男たち(1) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=GKGJhD86ih4&feature=related
焼け野原から大志を抱き、ソニーを創った不屈の男たち(2) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Pqds7jiEbjs
モルモットたれ | 辻野晃一郎オフィシャルサイト 2011年1月30日 Don't worry, Be happy
http://koichiro-tsujino.blogspot.com/2011/01/blog-post_30.html
モルモットとガラパゴス | 辻野晃一郎オフィシャルサイト 2011年2月12日 Don't worry, Be happy
http://koichiro-tsujino.blogspot.com/2011/02/blog-post.html
文藝春秋 2011年4月号 これが私たちの望んだ日本なのか
モルモット精神が日本を救う 辻野晃一郎(前グーグル日本法人社長) (一部抜粋しています)
「何故日本からグーグルのような会社が生まれないのか?」というのは聞き飽きたFAQのひとつだ。しかし、時代を少し遡れば、ソニーやホンダのようなグローバル企業を一代で作り上げ、世界の経済発展に大きく寄与した井深大や森田昭夫、本多宗一郎のような起業家は実際日本にもいたわけだ。
そのソニーの井深さんは評論家の大宅壮一から、「ソニー東芝のモルモットのようなもの」と揶揄されたことに対し、最初は憤慨したが、やがて以下のように語っている。
「電子工業では常に新しいことを、どのように製品に結び付けていくかということが、1つの大きな仕事であり、常に変化していくものを追いかけていくというのは、当たり前である。決まった仕事を、決まったようにやるということは、時代遅れと考えなくてはならない。ゼロから出発して、産業と成りうるものが、いくらでも転がっているのだ。これはつまり商品化に対するモルモット精神を上手に生かしていけば、いくらでも新しい仕事ができてくるということだ」
この井深さんの言葉の中にそもそものソニーの真髄があった。
その後、世の中は激変し、日本が得意としてきたテレビもクルマも、今やまったく別のモノに再定義されつつある。しかし、今はネットの時代かつインフラが整って個人レベルにも無限のコンピューティングパワーが安く解放されている恵まれた時代である。必ずしも大きな組織に属していなくても、思いついたことを迅速に実行しやすい環境が整い、個人や小さな企業でも、短期間で、大企業にも出来ないような大きなチャレンジが出来る時代となった。今こそ、日本人もモルモット精神を発揮捨て新たな成長産業を創り出す好機なのだ。
そしてもう1つ、決定的に重要なのは、いつも地球全体を俯瞰するような視座である。宇宙飛行士は宇宙から地球を見る経験をすると人生観が変わると言われる。グーグルの人達からも、宇宙のどこか遠くからいつも地球全体を眺めながら仕事をしているような印象を受ける。自分達の試みが「世界全体にスケールするかどうか」ということを常に気にしているのだ。日本人の発想や技術が所謂「ガラパゴス」に留まることなく、グローバルなステージで開花していくためには、言語やコミュニケーション・スキルの問題以前に、内向き名思考パターンを脱さねばならない。まさに宇宙の彼方から常に地球を俯瞰しているようなスケールでのマインド・セッティングが必要だ。
ネットの時代はやるよりやらないことのリスク(機会損失リスク)のほうが高い時代と言える。「モルモット精神」と「宇宙飛行士の視点」が日本を再び元気で世界に貢献する国に変える原動力になると信じている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
文藝春秋』4月号に大型企画として「これが私たちの望んだ日本なのか」が特集で載っている。
各界の著名人、有名人が明日の日本はどうあればいいのか、必要な能力は何かについて書いている。
日本はこの20年間、ずっと低迷を続けてきた。
ここに、掲載されている人のなかに日本をダメにしたと思われる人も「明日への提言」として書いている。
この20年間、経済界および政治の世界でリーダーであった人が明日への提言を書いて、どれだけ説得力があるのだろう。
つまり、「これが私たちの望んだ日本なのか」の記事を書いた人は玉石混淆なのだ。
昔、トップだった人だからとして、書いていることがマトモとは限らないのである。
誰が本当のリーダーなのか、誰が本当に真実を語っているのかを見極める必要があると思う。