じじぃの「カオス・地球_457_哺乳類の興隆史・第10章・ヒトという哺乳類③」

【ゆっくり解説】最初の人類?!アウストラロピテクスとは何者か?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Yjphj27TeEk

アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)


超有名なアファール猿人「ルーシー」の骨には、あちこちに傷が残されていた…「樹上生活を捨てた」はずの彼女に起こった「悲劇の謎」と衝撃の仮説(ブルーバックス編集部)

2024.08.14 ブルーバックス
さらに“ヒトっぽく”なった「アファール猿人」
アルディピテクスにやや遅れる形で、タンザニアエチオピアケニアなどに「アウストラロピテクス(Australopithecus)」が登場した。こちらは、「アファール猿人」の通称で知られる「アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)」が有名だ。
アファール猿人は、1974年に発見された「ルーシー」の通称で知られる女性の化石が有名である。

ルーシーの身長は約1メートル、体重は約30キログラムほどとかなりの軽量だ。
https://gendai.media/articles/-/128090?page=2

『哺乳類の興隆史――恐竜の陰を出て、新たな覇者になるまで』

ティーブ・ブルサッテ/著、黒川耕大/訳、土屋健/監修 みすず書房 2024年発行

約3億年前に爬虫類の祖先と分かれたグループが、幾多の絶滅事件を乗り越えて私たちに至るまでの、途方もない歴史を描く書。

第2章 哺乳類が出来上がるまで より

ペルム紀末、現在のロシアに当たる地域には多くの獣弓類が生息し、火山地帯からそう遠くない場所で暮らしていた。ゴルゴノプス類がディキノドン類に犬歯を突き立て、キノドン類がシダ種子植物の森に身を潜めていた。それらの動物が噴火の直接の被害者となったにちがいなく。多くは低俗な災害映画よろしく文字どおり溶岩に飲み込まれただろう。
しかし被害はこれに留まらず、溶岩よりずっと恐ろしい火山の潜在的な脅威が露わになった。「サイレントキラー」と呼ばれる二酸化炭素やメタンなどの有害なガスが溶岩とともに湧き上がり、大気に放出され世界に拡散したのだ。これらは温室効果ガスであり、赤外線を吸収して地表に送り出すことで熱を大気に留める。おかげで急激な温暖化が起き、気温が数万年で5~8度ほど上昇した。
いま起きていることに似ているが、実は現在の温暖化よりはペースが遅かった(現代人に現状の再考を迫る事実だ)。それでも海洋を酸性化・貧酸素化させるには十分で。殻を持つ無脊椎動物やその他の海棲生物が広範囲で死滅した。

第10章 ヒトという哺乳類 より

アルディは、初期ホミニンの木登りから地上歩行への移行がひと息には起きなかったことを示している。むしろ、歩行も木登りもこなし、樹上でも草原でも時を過ごす段階を踏んでいたようだ。初期ホミニンはジェネラリストだったわけだが、その一方で明らかに新天地を目指してもいた。開けた草原に進出した理由ははっきりしない。捕食者から逃げようとしたのか、新たな食料を探していたのか、それとも森が縮小するなかでただ生き延びようとしたのか。分かっているのは、初期ホミニンが二足歩行を始めたのは大きな脳を発達させて石器を作りはじめる前だったことだ。そうした諸々の革新がヒトに起きたのは、どうも直立歩行がきっかけだったらしい。おそらく両手が移動という用途から解放されたおかげで、新たな高カロリーの食料を摂取しそれを脳の組織に変えることが可能になったのだろう。

その後しばらく自然選択に導かれるうちに歩行と木登りを半々で行っていた初期ホミニンは二足歩行を常態化させ、ほぼ地上だけで移動や生活を行うようになった。この移行を完遂すべく、初期ホミニンは全身を作り変えた。前方に突き出していた頭が首の真上に載った。ウマでもネズミでもクジラでも(他のほぼすべての哺乳類でも)地面と平行に走り後股とは直角を成す背骨が、起立して後股と並行になり、さらに曲線を描いた。首や腰の痛みに悩まされている人は、祖先に起きたこの前進の改変を恨むといい。

このヒトの新たな立ち姿――高くて、威厳があって、後股と背中と首と頭が一直線に並び、土踏まずの発達した両足にバランスよく載っている姿勢――は、アウストラロピテクス(Australopithecus)という、アルディピテクスの少し後に現れた別の初期ホミニンに見て取れる。アウストラロピテクスは最も有名な化石人類であり、史上最も有名な化石の1つである「ルーシー」骨格に象徴される。
ルーシーは1974年にエチオピアで発見され、彼女の骨が発掘されていた現場で繰り返し再生されていたビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』にちなんで名づけられた。ルーシーの共同発見者であり、書籍やドキュメンタリーを通じて知名度を向上させることに生涯をかけたドナルド・ジョハンソンは、骨格の最初の科学的な記載を若き日のティム・ホワイトと行った。ホワイトがガディやアルディピテクスと出会う、ずっと前のことだ。
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この初期人間の脅威的な多様性を支えていたのは食物だった。ホミニンの種が異なれば好みの食物も異なり、その獲得法や加工法も異なっていた。最初期のホミニンはおそらく、他の類人猿と同じように、果実や木の葉、昆虫などの雑多なものを食べていただろう。その後、生息場所が森林から疎林、草原へと移るうちに、硬い食物を好む種が現れた。それらは奥行きの深い顎に巨大な前臼歯と臼歯を備え、根や塊茎などの硬い食物をすり潰していた。いわばアメリカのサバンナで高冠歯を発達させたウマの人版だ。食性をもっとがらっと変化させ、肉を食べるようになった種もいた。この最初の肉食人類は痕跡を残している。約340万年前の地層からは石器によってつけられた傷が残る、解体された動物の骨が産出し、その直後の地層からは石器そのものが出土している。考古学の対象となる遺物の出現だ。この時代以降、私たちの存在は、骨や歯や足跡だけでなく、私たちが作った物によっても語られることになる。

肉食は画期的な変化だった。肉は木の葉や虫よりも格段にカロリーが高く、そのカロリーが大きな脳のエネルギー源になった。豪勢で高カロリーな食事のおかげで、食料を探す時間が減り、根や葉を咀嚼して栄養を取り出す手間暇も減った。歯と咀嚼筋が小さくなり、ほっそりした顔ににこやかな笑みを浮かべられるようになった。暇な時間が増えたことで、仲間と交流したり話したり、何かを教えたり学んだりする機会が増え、それがヒトの文化の起源になった。画期的な変化と言えば道具の作成もそうだ。人類は初めて、自然選択により新たな道具(歯や鉤爪など)が進化するのを待つことなく、新たな食料を入手できるようになった。カッターでも掻器でもパウンダーでも自分たちで作ればいい。この多彩な道具と、好き嫌いも際限もない食欲のおかげで、ヒトは極めて順応性の高い動物になった。約200万年前、その生息地は草地、森林、湖畔、草原、乾燥したステップ、蚊さに遭った地域など、多種多様な環境におよんでいた。

系統樹上で絡み合う祖先の枝から新たなタイプの人類が出現し、約280万年前に初めて化石記録に登場した。ホモ(Homo)、つまり私たちの属だ。彼ら(いや、私たちと言うべきか)が登場したとき、地域の気候は乾燥度と不安定さを増し、草と開けた土地がいっそう増えていた。初期のホモ属には多くの種が存在し、私たちに最も近縁な仲間の分類は混沌を極めている。その混沌から現れたホモ・エレクトス(Homo erectus)は、以前の種よりも身長が高く、姿勢が直立し、脚が長くなっていた。さらに、森ときっぱり縁を切ったことを物語る短い腕、平たい顔、過去のホミニンよりもはるかに大きな脳を備えていた。
走るのが得意で、獲物を長距離追跡できた。森の木陰を出て日光にさらされたエレクトスは、おそらく哺乳類の特徴である体毛を失った最初の人類のうちの一種だ。社会性があったと考えられ、おそらく火を使って食物を調理することもできたが、極めて暴力的だった。見事な石器を作ることができ、熟練の石工が精巧に加工した洋梨型の握槌(ハンドアックス)は、初期人類の道具製作者が原石を打ち欠けて作った単純な石器よりはるかに進歩していた。

ホモ・エレクトスは広く拡散した最初のホミニンでもあり、現在分かっているかぎり、アフリカを出た最初の人類である。