『産経新聞』2024年7月22日(月)号
若者孤独死 23区で742人 3年間統計 発見に死後4日以上が4割 より
誰にもみとられず1人暮らしの自宅で亡くなる「孤独死」した若者(10~30代)が、平成30年~令和2年の3年間に東京23区で計742人確認され、うち約4割が死亡から発見までに4日以上を要していたことが21日、東京都監察医務院への取材で分かった。独居高齢者らに限らず、若者にも孤独死のリスクが広がっている実態が浮き彫りになった。
「孤独死」に関する法律上の定義はなく、行政や自治体で異なるが、監察医務院は≪自殺や死因不詳などの異状死のうち自宅で死亡した1人暮らしの人≫としている。
監察医務院が令和2年までの3年間に取り扱った1人暮らしで異状死した10~30代の若者は計1145人。このうち職場や路上などを除く自宅で死亡した「孤独死」は64.8%(742人)に上っていた。
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死因の人類史
【目次】
序章 シエナの四騎士
第1部 さまざまな死因(死とは何か?;『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』 ほか)
第2部 感染症(黒死病;ミルクメイドの手 ほか)
第3部 人は食べたものによって決まる(ヘンゼルとグレーテル;『壊血病に関する一考察』 ほか)
第4部 死にいたる遺伝(ウディ・ガスリーとベネズエラの金髪の天使;国王の娘たち ほか)
第5部 不品行な死(「汝殺すなかれ」;アルコールと薬物依存 ほか)
結び 明るい未来は待っているのか?
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『死因の人類史』
アンドリュー・ドイグ/著、秋山勝/訳 草思社 2024年発行
疫病、飢餓、暴力、そして心臓、脳血管、癌…人はどのように死んできたのか?
有史以来のさまざまな死因とその変化の実相を、科学的・歴史的・社会的視点から検証した初の試み、壮大な“死”の人類史。
第5部 不品行な死 第18章 「汝殺すなかれ」 より
みずからの命を奪う人間
この項目とそれにまつわる話は、人によっては心乱されるかもしれない自殺を扱っている。
実は、16歳の若者から40歳くらいの年齢層の死因の第1位が自殺だ。次に鏡を見るとき、自分がいま見ている者こそ、自分を殺す可能性が圧倒的に高い人間だと考えてみてほしい。この世にいる者みなすべてあわせた誰より、自分にとってもっとも危険な人間は自分なのだ。人間は自分に向けて暴力を行使することで知られている唯一の種で、みずからの芋のを奪うためには凶器さえ使用する。
南米のガイアナ、アフリカ南部にあるレソトとスワジランドは、人口10万人あたりの自殺者数がもっとも多いのされている。だが、自殺に関しては多く国が正確なデータを収集しておらず、関連する統計は信頼できないのが実情だ。2021年、WHOの推定では、自殺の関する信頼に足りうるデータを記録しているのが世界約80ヵ国だけだという。自殺は汚名の烙印を押され、違法とさえる国もあるため、見通しのいい道路で運転中に樹木に正面衝突して死亡したといったように、その多くは事故死として記録されている。だが、実はその事故は意図して起こされたのかもしれない。
ガイアナ、レソト、スワジランドの自殺率の順位は高いが、少なくともこれらの国では自殺が他の国より多く記録されている実態はうかがえる。自殺は世界的な現象で、2019年には自殺の77%が低・中所得国で発生している。15歳から19歳の死因として第4位で、自殺者1人に対して約20人の未遂者がいると考えられています。
サンフランシスコと北のマリン郡を結ぶゴールデンゲートブリッジは1937年にに開通した。この橋から飛び降りた場合、落下までに4秒かかるので、その間自殺について考えるには十分な時間があるが、そのまま終末速度約120キロ毎時で水面に叩きつけられる。この衝撃から生き延びられたとしても脚や背中は骨折して激痛に見舞われ、湾内が凍っていれば泳げないのでそのまま溺死する。それにもかかわらず、時折、ボートに拾われる生存者がいる。だが、後遺症は一生残ることになる。その後行われた面談によると、多くの人が「飛び降りた瞬間に後悔した」と語っている。飛び降りることを選んだが、かといって心の平穏は得られなかったのは確かなようだ。飛び降りようと考えて橋まで行ったが、ハイウェイパトロールの警官に阻止された515人のうち、後日自殺したのは約10%だった。つまり、命を絶つという決断はほとんどの場合で一般的なものなのだ。その後苦悩を乗り越えた人たちは、「乗り越えられてよかった」と考えるようになったという。
自殺には複雑な原因がかかわっており、強烈な精神的な苦痛が明らかにうかがえる。精神疾患、とくにうつ病や双極性障害を抱えて苦しんでいる自殺者が少なくない。うつ病はとりわけ厄介な病気で、気がつかないうちに進行して何十年も続くこともある。また、自殺を図ろうとする人たちには、社会的な地位の低さ、性的マイノリティ、子供がいないなどの傾向がうかがえる。人間はとくに社会性が高い動物で、他人からどう見られているかをきわめて気にしている。激しい羞恥心のせいで自殺に追い込まれる場合もある。また、マスコミやソーシャルメディアによる無責任な自殺報道や情報拡散にも問題がある。たとえば、傷つきやすい人が共感を寄せるような人物が用いて自殺方法を書き込むことは、その摸倣を招くことにつながるかもしれないのだ。
自殺に対しては、どちらかと言えばそれを容認する文化もあれば、犯罪だと見なす文化さえある。主要な宗教は自殺を断罪し、生命は神から授かったものであり、捨ててはいけないと説き、それでもみずから命を絶てば地獄に落ちるか、あるいは来世で生まれ変わるのは非常に悪い業(カルマ)を生み出すと説いている。だが、私たちのような宗教的な信条を持たない者にとって、なぜ自殺はいけないのだろう? 自分の体をどうしようと、それはその人の権利であるのはまちがいないはずだ。
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だが困ったことに、自殺にまで追いつめられたときの妄想は、自分は大切にされていない。人の重荷になっている。自分が死ねばほかの人にはなにがしかの救済になるなどの思い込みだ。また、事態はいずれ好転すると考えられなくなっている。このような誤った思いは、自傷行為へのハードルを低くしてしまうだけである。
それだけに同じ立場の人とともに過ごし、自分が愛されているとあらためて認識することは自殺のリスク軽減につながる。心優しき人との触れ合いは、なんであれ助けになるうる。