じじぃの「ロス疑惑・三浦和義・狂言自殺説を検証する!私は真犯人を知っている」

口火を切った「週刊文春1984年1月26日号


「疑惑の銃弾」永遠なり

2008-02-26 音次郎の夏炉冬扇
家の近くのセブンイレブン週刊新潮週刊文春を立ち読みするのが日課の暇な中学生だった私は、84年の1月に始まった文春の「疑惑の銃弾」キャンペーン第1弾を鮮明に覚えています。
81年の銃撃事件も結構大きなニュースだったらしいのですが、それは記憶になく、ティアドロップ型サングラスをかけた松葉杖の写真の男性のことをこの時初めて知りました。その後の狂乱報道は凄まじいの一語に尽きますが、事件の本筋には関係ないネタが出るわ出るわのオンパレードでマスコミ的には美味しい展開となりました。
https://blog.goo.ne.jp/masakichi917/e/d16f54cb9924647357811a78f820bec8

『私は真犯人を知っている』

「文藝春秋」編集部 文春文庫 2011年発行

狂言「自殺」説を検証する――三浦和義 安倍隆典(ジャーナリスト) より

いわゆる「ロス疑惑」に火をつけたのは『週刊文春』による「疑惑の銃弾」キャンペーンがきっかけだった。当時、取材班のキャップを務めていた安倍隆典が、疑惑に満ちあふれた事件で最後に残された謎、三浦和義の「自殺」にかかわる疑惑をあらためて検証する。
   
2008年10月10日、ロサンゼルス市警の留置場で三浦氏が首をくくって死亡してから2年近い月日が経つが、この間、私は数え切れないほど多くの人たちから同じ質問をされてきた。

「安倍さん、三浦は本当に自殺したんですか」
誰もが三浦和義と「自殺」が結びつかないのである。

この疑問は、三浦氏と親しい関係者や家族、彼をそれまで弁護、支援してきた人たちにとっても同様である。三浦氏の「自殺」直後、彼らが「三浦は絶対に自殺するような人間ではない。ロス市警の発表は信じられない。三浦は殺されたのだ」と主張して、ロス市警に激しく抗議する騒ぎがあったことは、繰り返し報道された。

しかし、ロス市警による「他殺説」は、まったくのナンセンス、荒唐無稽な話である。
いわゆる「ロス疑惑」は、1981年にロサンゼルスで発生した殴打事件と銃撃事件、この2つの事件で構成されている。8月と11月、わずか3ヵ月の間に、同じロサンゼルスで、三浦氏の3番目の妻・一美さんが2度も襲撃されるという異常な事件である。

殴打事件では、殺傷能力のあるハンマーを渡された三浦氏の愛人(日本人)が一美さんを襲ったが、未遂に終わった。三浦氏は最高裁で殺人未遂罪、懲役6年の有罪が確定している。

銃撃事件では、一美さんがライフルで頭部を撃たれ、植物状態のまま1年後に日本の病院で死亡した。三浦氏は、一美さんの保険金、約1億5000万円を受け取っている。88年、三浦氏は実行犯とされたロス在住日本人とともに殺人罪で再逮捕された。1審では三浦氏は無期懲役だったが、東京高裁では逆転無罪判決が出て、号外が出るほどの大きな衝撃を社会に与えた。

2つの事件は日本側が捜査、起訴することになり、ロス市警および検察当局は日本に全面協力していた。しかし、アメリカ側の捜査協力は、三浦氏が有罪になることが大前提だった。03年、三浦氏の無罪が最高裁で確定したとき、アメリカ捜査当局の不快感、怒りは激しかった。

「3ヵ月まえの殴打事件が有罪確定しているのに、銃撃事件が無罪になるとは、いったい日本の裁判はどうなっているのだ」

その当時、ロス市警の捜査官に厳しく問い詰められた記憶が私にある。
ところが、いかなる神様の計らいか、三浦氏がアメリカの自治領であるサイパンに出没しているという情報をロス市警がキャッチした。そして、08年2月、三浦氏は逮捕された。高名な弁護士を選任して抵抗を試みたが、結局、ロスに移送されることになり、到着最初の夜に三浦氏は「自殺」を実行したのである。

捜査当局は、「殺人共謀罪」(最低でも懲役25年)で起訴する準備をしており、有罪立証には万全の自信をもっていた。さらには、三浦氏の愛人・白石千鶴子さんが、79年、ロスで失踪して死亡した事件についても、三浦氏を起訴する予定だった。
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これほどの超VIP容疑者をロス市警が殺害することは全く根拠がない。
それでは、自殺でもない、他殺でもない、ミルラ氏の「縊死(いし)」は、いったい何だったのか。

狂言自殺の失敗である。狂言のつもりで行った「自殺未遂」が、運悪く本当の「自殺」になってしまったのである。

これは、決していい加減な思いつきではない。そう考える確かな状況証拠がある。
週刊文春』が7週にわたる「疑惑の銃弾」の連載を開始したのは84年1月。この調査報道は、それまで異国で妻が襲われた「悲劇のヒーロー」「美談の人」として取り上げられてきた三浦氏の意外な過去と疑惑に加え、テレビに出演した三浦氏の特異な人間性が火に油を注ぎ、空前絶後の異常な騒動に発展した。そして、連載2回目の『週刊文春』が発売されたころ、中年女性の声で奇妙な電話が編集部にかかってきた――。

「昨日、八重洲にあるブックセンターへ行ったら、三浦さんがいた。サングラスをかけていたが、三浦さんとすぐにわかったので、後をつけていったら、『自殺』という本を買っていた……」

翌日の午前、今度は、やくざふうの男から電話がかってきた。
「てめえ、このクソ野郎、おめえたちが、いい加減なことを書きやがるから、和さんが自殺したじゃねえか」

しかし、これはまったくのデマだった。本の話が気になった私は、本当に『自殺』が売れたのが、問い合わせてみた。答えは、「1冊も売れていません」。

絶体絶命になったとき、危機から脱出するために、自殺をちらつかせる、これは三浦氏の行動パターンである。

もはや勝ち目がない裁判を前にして、唯一残された道は、裁判を止めることである。では、裁判を止めるためには、どんな方法があるのか。

ここから先は、読者の皆さんで考えていただきたい。考えるヒントは、縊死による自殺未遂では、しばしば脳障害の後遺症が残ることである。そして、三浦氏が実にすばらしい演技能力を持っていることは、皆さんがよくご存知のはず。

三浦氏が「自殺」した今となっても、一美さん、白石さんの家族の苦しみは続いている。事件は歳月とともに風化して、若い人たちの間では、三浦氏は免罪だと思っている人もいると聞く。私は今後も三浦和義という男の実像を検証していくつもりである。

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どうでもいい、じじぃの日記。

少し古い本だが『私は真犯人を知っている』に、「ロス疑惑 三浦和義 狂言自殺説を検証する」が書かれていた。

「安倍さん、三浦は本当に自殺したんですか」

誰もが三浦和義と「自殺」が結びつかないのである。

1981年に米国ロサンゼルス市内で妻(当時28)を銃撃して殺害、多額の保険金をだまし取ったとして、当時雑貨輸入販売会社の三浦和義元社長が85年9月、警視庁に逮捕され、殺人などの罪に問われた。
   
ある本にこんなことが書かれていた。

「澤口氏の説では、前頭連合野にたくさんある神経が神経が互いに電気信号を送り合いコミュニケーションをとりながらダイナミックに働いていてそのプロセスの結果が「自我」ということだと言う。脳神経が互いに働くことで、『私は私だ』という意識が誕生しているというわけだ」

しかも、40歳の時の私と、70歳になった私では、もはや「別人」と言っていいほど細胞が変わっている。
   
脳科学からみれば、40歳の時に凶悪な犯罪を犯しても、70歳になったときは全く善良な人間になっていてもおかしくない。

昔、アスペルガー(口下手)だったとしても、老人になっているときにはアスペルガーでない(口が達者)かもしれないのだ。
(でも、認知症があるからなあ)
他人からあの人はアスペルガーだからと思われていた方が、まだ気が楽だったりして。

トホホのホ。