じじぃの「食品の保存・缶詰・もとは加熱滅菌した食品の瓶詰だった!ケミストリー世界史」

A brief history of the humble tin can

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e_Fe77wbXKg

「缶詰」 考案者はニコラ・アペール


缶詰誕生のきっかけは、歴史に名を残すあのフランス人!【フランス小ネタ連載】

Jan 3rd, 2019 TABIZINE~人生に旅心を~
●きっかけは「栄養のある、おいしいもので敵に勝つ!」
缶詰誕生のきっかけを作ったのは、フランス革命ナポレオン戦争で歴史に名を残すナポレオン・ボナパルトです。ヨーロッパ周辺国に遠征するたびに、食料補給の問題に悩まされていたナポレオン。
当時の長期保存食品は、塩漬けや燻製、酢漬けを中心としたもので、味が悪く腐敗も多かったそうです。ナポレオンは兵士たちの士気を高め、勝利に導く重要なもののひとつが、栄養豊富でおいしい食べ物だと考えました。食料の長期保存のアイデアを公募したところ、1804年にニコラ・アペールがガラス瓶に食品を入れて加熱殺菌する「瓶詰め」を考案しました。
https://tabizine.jp/2019/01/03/228831/

『ケミストリー世界史 その時、化学が時代を変えた!』

大宮理/著 PHP文庫 2022年発行

第12章 資本主義から帝国主義へ より

重商主義、そして産業革命による工業社会の到来は、資本主義というシステムを発展させ、新しい市民階級=ブルジョワジー(資本家)と労働者を生み出しました。ブルジョワジーとはフランス語の「ブール」(町・都市)からきた言葉で、日本語なら「町人」のようなイメージです。シェルブールストラスブール、ドイツだとハンブルクなど、もとは同じ語源です。
ブルジョワジーによる議会が、政治の中枢になります。フランス革命の到来とともに、アメリカ合衆国に次いで、地球上に新しいステージとなる近代民主主義が生まれます。

1804年 食品保存の発明――人類は食品の殺菌と保存に知恵をしぼってきた

ホルムアルデヒド、クレゾールなどで殺菌
現在で生活する私たちは、冷蔵庫があり、生鮮食品など食品の保存に苦労することはありませんが、人類の歴史はいかに食品を保存するかにかかっていました。人類は経験から学び、食品の保存に知恵をしぼってきたのです。
干物は塩をかけて寝かせることで、表皮を通って外側の濃い塩のほうを薄めようと、なかから自発的に水が流れ出します。これを浸透といい、内部の自由に動ける水が一定の割合より少なくなると、カビなどが生えなくなるのです。
燻製(くんせい)は、樹木を燃やした煙のなかに反応性が高いホルムアルデヒドやフェノール類(フェノールという分子の構造を共通部品としてふくむ)といった殺菌作用の強い分子が生じるので、これを燻(いぶ)して殺菌する技術です。
ホルムアルデヒドは、学校の理科室にある生物標本を浸けているホルマリンの成分です。ホルムアルデヒドは反応性が高い分子で、細菌やカビのようなものをすぐに攻撃して破壊するので、生物標本の保存にはうってつけです。
また、フェノール類という物質も、殺菌作用を示します。燻した食べ物の表面を殺菌すると同時に、独特の臭い、フェノール類をはじめとする分子たちのスモーキーなフレーバーがつきます。
ワインや蒸留酒などの塾成に使う気の樽からもフェノール類が染み出してきて、独特の風味をつけます。イギリスのアイラ島ウイスキーはとくに強烈です。
トイレなどで見かける、緑色の消毒石鹸の液体は、フェノール類のクレゾールという分子が成分のクレゾール石鹸液といわれるものです。独特な匂いで有名な正露丸も、殺菌成分としてクレゾールをふくんでいます。
石炭を加熱して分解した、コールタールという黒くてドロドロの成分を蒸留して得られる、クレオソート油と言われる液体があります。ギリシャ語の「クレアス」(「肉」という意味)+「ソテル」(「救うもの」という意味)に由来します。昔は、鉄道の枕木の防腐剤として塗られていました。

●アペールのスイーツづくりが大発明につながる
ナポレオンの軍隊がヨーロッパのあちこちで機動戦を行なって勝利していった背景には、軍隊が抱える古今東西のいちばん重要な問題、「いかに兵士のお腹を満たすか」に新たな解決策を見つけたことがあります。
古代のローマ帝国の軍隊からアメリカの独立戦争まで、兵士は携行している袋や背嚢(はいのう)のなかには乾燥肉やクラッカーのような”乾き物”しかなく、これも2000年ものあいだ、まったくといってもいいほど変わりがなかったのです。ナポレオンの時代ですら、冷蔵装置もないため酢漬けや燻製が主体でしたが、まずいうえに腐っていることも多く、戦争時のいちばんの問題が食糧の安定確保といえました。
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そうしたなかで、歴史を変えるような発明を持ち込んだのがニコラ・アペールです。
アペールは正規の教育を受けずに裸一貫で料理人になり、厨房(ちゅうぼう)で出世して20代には貴族や王家に仕える有名な料理人になっていました。

●缶詰の発明で新鮮な食品を保存できる
1795年、フランス政府は、軍用食料の保存方法を発明した者に賞金をかけました。シュワシュワの発砲ワイン、シャンパーニュの製造にもくわしかったアペールは、瓶詰めした野菜や肉、乳製品、シチューなど、新鮮な食べ物を湯煎で加熱したあと密封する手法を8年かけて実験、改良し、ついに食品の長期保存を可能にしました。
もちろん、この譜代に、細菌による腐敗などはわかっていませんから、加熱で殺菌しているという原理についても本人はわかっていませんでした。
1803年には、フランス海軍をはじめとして実地テストが行われました。どこのテストでも評判はよく、「春、夏、秋の味覚を冬にも味わえる」と絶賛されました。1804年にアペールは女性従業員が50人の製造会社をつくり、瓶詰め保存食の生産を始めました。そして、この発明で1万2000フラン(現在の邦貨で約6000万円)の懸賞金をものにしました。
こうして、歴史的な、食品の保存という快挙が成し遂げられました。が、この方法には
決定的な欠点がありました。割れやすい瓶を使っていたのです。
1810年にアペールが食品保存の著書を世に出すと、すぐにイギリスの発明家ピーター・デュランドは、自身が発明したブリキ(スズでメッキした鉄)を使ってつくった缶を瓶のかわりにして、そのなかに食品を保存する「缶詰」を発明して特許とりました。
これにより、人類にとって数千年にわたる課題だった新鮮な食品の保存が、缶詰という新しい技術で克服されました。
1812年、デュランドの特許を買ったイギリスの実業家ブライアン・ドンキンとジョン・ホールが缶詰生産工場を立ち上げると、たちまち海軍の船内から陸軍、探検家の保存用食品としてブレイクしました。しかし、このころの工場では、職人が1人当たりでつくれるのが1日当たり60~70缶くらいだったので高価なものとなり、一般にはすぐに普及しませんでした。
これらの缶詰は英語で「Tin Canister」(ブリキの容器)といわれ、やがて「Can」といわれるようになりました。その音訳から「缶」という名前になったのです。