じじぃの「科学・地球_390_進化の技法・私たちの内なる戦場・ウイルス」

How an ancient virus spread the ability to remember

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fCq-csEHTCM

Prehistoric Viruses and the Function of the Brain


Prehistoric Viruses and the Function of the Brain

December 11, 2018 Scientific American
One of these genes, known as Arc, is so critical to these processes that it has often been called a ‘master-regulator’ of synaptic plasticity. Without Arc, synapses fail to adapt, and animals fail to learn.
Nevertheless, exactly how Arc is involved in these processes has remained frustratingly mysterious-at least until now. The key insight in the Arc story comes from a careful study of the DNA sequence of the Arc gene, which contains stretches that look eerily similar to those found in ancient viruses.
https://www.scientificamerican.com/article/prehistoric-viruses-and-the-function-of-the-brain/#

進化の技法 転用と盗用と争いの40億年 みすず書房

ニール・シュービン(著) 黒川耕大(訳)
生物は進化しうる。ではその過程で、生物の体内で何が起きているのだろうか。この問いの答えは、ダーウィンの『種の起源』の刊行後、現在まで増え続けている。生物は実にさまざまな「進化の技法」を備えているのだ。
本書は、世界中を探検し、化石を探し、顕微鏡を覗きこみ、生物を何世代も飼育し、膨大なDNA配列に向き合い、学会や雑誌上で論争を繰り広げてきた研究者たちへの賛歌でもある。
歴代の科学者と共に進化の謎に直面し、共に迷いながら、40億年の生命史を支えてきた進化のからくりを探る書。

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『進化の技法――転用と盗用と争いの40億年』

ニール・シュービン/著、黒川耕大/訳 みすず書房 2021年発行

第6章 私たちの内なる戦場 より

意義をはらむ

私のシカゴ大学の同僚であるヴィンセント・リンチがスポーツジムにいたら、まず目に付かないことはない。両腕と両脚にいろいろな動物のタトゥーを彫ってあるから、同じくタトゥーを入れている学生に混じっても、ひときわ目立つ。リンチの四肢には川の風景が広がっていて、そこにトンボと魚が棲んでいる。
その川の風景は、リンチ少年の科学愛を育んだハドソン川の生態系に敬意を表したものだ。ハドソン川沿いの町に育った彼は、川辺に棲む生き物に魅了された。さまざまな生き物を記録したり、描いたり、調べたりしているうちに、我を忘れてしまうほどだった。残念なことに、その生命の多様性への好奇心が学校の成績に結びつくことはなかった。リンチは落ちこぼれだった。それは、本人いわく「授業を聞いていなかった」から。代わりに、窓の外を眺め、鳥や昆虫を観察していたという。
幸い、1人の生物学教師の慧眼のおかげで、リンチの安穏は乱されずに済んだ。教室の後ろで本を図鑑を読ませてくれて、授業後にはクイズも出してくれたのだ。1人の賢明な教師がくれたこの経験に後押しされ、リンチは生物学の道に志した。以来、人生を賭けて、動物の多様性が生じる仕組みを探究している。動物の生活や食事、移動について調べるだけではなく、動物が遠い祖先から何百万~何千万年かけて進化してきた経緯を探っている。リンチは、こうした深遠な問いに高度な技術を用いることを得意としている。
生物学の進展には、正しい問いを設定することと同じくらい、その問いを探究するためお実験対象を見つけることが欠かせない。T・H・モーガンはハエを手がかりにして遺伝を研究した。バーバラ・マクリントックはトウモロコシを通して遺伝子の働きを解明した。かたや、ヴィンセント・リンチは、生命史上の大変革を解明するための手がかりを脱落膜間質細胞に見いだそうとしている。
脱落膜間質細胞のことを語る時、リンチの目は輝く。2人で初めてその細胞のことを話した際には「体内でもっとも美しい細胞」の1つだと熱弁していた。ありえないほどマニアックな話であることは認めよう。でも、実際に顕微鏡で観察してみたら、私も納得した。たいていの細胞は、顕微鏡で観察すると、小さな点が整然と並んでいるように見える。しかし、脱落膜間質細胞は違う。赤くて大きい細胞体どうしの間を豊富な結合組織が埋めていて、細胞にこんな表現を使うのもおかしいが、「瑞々(みずみず)しい」感じがする。
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リンチが発見したスイッチ群は、まさにその飼い慣らされた事例にあたる。脱落膜間質細胞の形成にあずかるスイッチはどれもある特別な配列を持っていた。その配列は、紛れもなく、跳躍遺伝子に由来するものであるように見えた。しかし、1つ違うところもあって、DNAの短い配列を欠いていた。他でもない、遺伝子に跳躍能力を与える配列だ。まるで、遺伝情報が乗っ取られて、遺伝子が跳べないようにされて、その場に留まり脱落膜間質細胞をつくる仕事に就いたかのようだった。”バネ”を切られたかつての跳躍遺伝子は着地した場合で使役されるはめになったわけだ。
リンチが妊娠を通じて発見したことは、もっと広大な世界を見る際の窓になるだろう。ゲノムは、跳躍遺伝子とそれを抑え込もうとする勢力との内戦状態にある。この争いを通じて発明が生まれる。1つの変異がゲノム全域に拡散し、やがて革命を引き起こす。
こうした変化は、ドイツ生まれの科学者リチャード・ゴルトシュミット(『The Material Basis of Evolution(進化の物質的基盤)』の著者)が唱えた有望な怪物とはかけ離れている。革新的な変異がワンステップで起きる必要はない。小さな変異がゲノムの1ヵ所に生じ、それが跳躍遺伝子とつながっていれば、後続の世代を伝わるうちに拡散し、増幅していく。
さて、ゲノム内の戦線はここからさらに拡大する。そして、その鍵を握っているのは、またしても妊娠だ。

幽霊が支える記憶

ジェイソン・シェパードはニュージーランド南アフリカで幼少期を過ごした。よく母親を質問攻めにし、ついには「科学者になって自分で答えを見つけなさい」と言われてしまったそうだ。その後、高校を卒業する頃には医学の道を志すことに決めていた。突貫でいこうと、医学部進学課程と医学部課程を数年で終わらせる計画を立てた。その計画の初年、オリバー・サックスの『妻を帽子とまちがえた男』(高見幸郎、金沢泰子/訳、早川書房刊、2009年)に出会う。この1冊の本がシェパードの人生を変えた。サックスに誘発され、当初の計画を放棄して新たな道を志し、ヒトの脳の働きを支えている分子や細胞を研究することにした。シェパードの目標は、本人いわく、ヒトをヒトたらしめているものを解明することになった。そこで選んだ研究テーマが、記憶とその喪失だ。私たちがどう学び、どう他者と関わり、社会の中でどう振る舞うかということは、私たちの過去を思い出す能力により決まる部分が大きい。この研究は決してマニアックなものではない。私たちの社会が直面している大きな問題の1つに神経変性疾患がある。ヒトの寿命が延びるにつれて、脳の老化がますます重大な障壁になりつつある。記憶や認知機能の喪失は苦難の元であり、本人の感情にも社会生活にも家計にも計り知れない影響をおよぼす。
大学4年生の時、神経生物学の講義での話題提供に使う論文を探していたシェパードは、ある論文と出会い、記憶の形成にあずかると考えられていたArcという遺伝子を知った。マウスでは、個体が学習する過程でArcは発現する。しかも、その脳内での発現部位は神経細胞うしの隙間ときていた。Arcは、記憶にとって重要な遺伝子としての要件を満たしているように思えた。
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自分の研究結果を披露できることに胸を高鳴らせながら、シェパードは神経科学と行動学の学会に赴いた。自身の発表前に、ショウジョウバエを扱っている研究者の講演を聴いた。その研究者はハエがArcを持っていることを示した。ハエのArcは、私たちのものと同じように、神経細胞うしの隙間で働いているらしい。しかも、中空のカプセルを形成し、細胞から細胞へと分子を運んでいるのだという。ただし、ハエのArcは、陸棲動物に侵入したウイルスとはまた別のウイルスに似ていた。つまり、陸棲動物とは別の機会にウイルスと遭遇し、Arcを獲得したということだ。
ゲノムはどのようにして、ウイルスに感染を許すのではなく、飼い慣らして使役しているのだろうか。その答えははっきりしないが、「飼い慣らしはこうして起きるのではないか」という候補なら多々存在する。数通りの状況下での、ウイルスと宿主の運命を考えてみよう。ウイルスの感染力が強い場合、宿主が死んでしまうため、ウイルスが世代を超えて伝わっていくことはない。一方、ウイルスが比較的無害だったり、あるいは有益だったりとすると、そのウイルスは宿主のゲノムに入り込み、定着する。さらに、精子や卵のゲノムにまでたどり着けば、宿主の子孫に自らのゲノムを送り込むことになる。時とともに、ウイルスが宿主にすこぶる有益な影響をもたらすようになり、例えば胎盤の機能が高まlったり、記憶力が向上したりしたとしよう。すると、自然選択を受け手ウイルスが進化し、宿主のゲノムに留まってますます効率的に水からの仕事をこなすようになる。
ゲノムは、いわばB級映画の舞台のようなもので、幽霊がうようよしている墓場に似ている。太古のウイルスの断片がそこかしこにあり、一部の推計によるとヒトゲノム全体の8パーセントを不活性化されたウイルスが占めていて、その総数は最新の推計によると10万個以上に上るらしい。こうした化石ウイルスの中には、いまだに機能を維持し、タンパク質を産生しているものもある。この5年間で、そうしたタンパク質の有用性が、妊娠や記憶に留まらず。数えきれないほどの生理機能で確認されてきた。一方で、宿主のゲノムに入り込んだまま動かず、残骸のように横たわり、消え去るか朽ちていくのを待っているだけの化石ウイルスもある。
ゲノムの内部では絶えず争いが起きている。一部の遺伝物質は自らのコピーをひたすら増やすために存在している。それは、ゲノムに侵入して乗っ取ってしまうウイルスのような、外来の侵入者かもしれない。あるいは、増殖してゲノムのあちこちに入り込む跳躍遺伝子のような、内在の配列かもしれない。これらの利己的な遺伝物質が特定の領域に着地すると、時として、子宮内膜のような新たな組織をつくるために使役されたり、記憶や認知などの新たな機能を支えるために使われたりする。遺伝的な変異は、たった数世代のうちに、ゲノムにあまねく拡散しうる。さらに、もしウイルスがさまざまな種に侵入したら、似たような遺伝的変化がそのさまざまな生物で別々に生じることもありうる。