じじぃの「科学・地球_389_進化の技法・進化というモノマネ師・トウモロコシ」

DNAの大事件! 生命進化の謎 3/3, サイエンスZERO 科学番組, Science ZERO

動画 dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x80ivue

Dr. Susumu Ohno: Finding the beauty in DNA


サイエンスZERO 「DNAの大事件! 生命進化の謎」

2015年7月26日 NHK Eテレ
【司会】竹内薫南沢奈央 【ゲスト】牧野能士(東北大学大学院生命科学研究科准教授)
近年、テクノロジーの発達により、人間をはじめ様々な生き物のDNAの解読が進められている。
その結果、驚くべき生命の進化の詳細な過程が明らかになってきた。これまで、地球の生命は40億年以上の長い時間を掛け、少しずつ姿を変えてきたと考えられていた。しかし、「目・手足の誕生」や「脳の巨大化」といった変化は、ある時期に、突如DNAが激変する事件が起きたというのだ。それを可能にした遺伝子重複の秘密に迫る!
大野の法則は、哺乳類のX染色体がDNA量および遺伝子に関して種を超えて保存されている、というもの。日本の生物学者大野乾が1967年に提唱した。
大野乾はDNAの塩基配列の構成原理に、音楽の音符の構成原理との同一性を見出し、このことを示すために、DNA塩基を音符に置き換えた「DNA音楽(遺伝子音楽)」を試みたことでも有名。
https://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp512.html

進化の技法 転用と盗用と争いの40億年 みすず書房

ニール・シュービン(著) 黒川耕大(訳)
生物は進化しうる。ではその過程で、生物の体内で何が起きているのだろうか。この問いの答えは、ダーウィンの『種の起源』の刊行後、現在まで増え続けている。生物は実にさまざまな「進化の技法」を備えているのだ。
本書は、世界中を探検し、化石を探し、顕微鏡を覗きこみ、生物を何世代も飼育し、膨大なDNA配列に向き合い、学会や雑誌上で論争を繰り広げてきた研究者たちへの賛歌でもある。
歴代の科学者と共に進化の謎に直面し、共に迷いながら、40億年の生命史を支えてきた進化のからくりを探る書。

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『進化の技法――転用と盗用と争いの40億年』

ニール・シュービン/著、黒川耕大/訳 みすず書房 2021年発行

第5章 進化というモノマネ師 より

どこもかしこもコピーだらけ

生物のゲノムは、どの階層を見ても、音楽の楽譜に通じるところがある。音楽でも、同じ楽節(フレーズ)をさまざまに繰り返すことで、実に多種多様な曲が生まれる。自然を作曲家に例えるとしたら、その作曲家は史上屈指の著作権侵害者であるに違いない。DNAの一部から遺伝子やタンパク質にいたるまでのあらゆるものが、オリジナルのコピーを改変したものにすぎないのだから。ゲノム内の重複に注目しはじめると、まるで新しい眼鏡を掛けたかのように、世界がそれまでとは違って見えてくる。いったんゲノム内に重複を見いだすと、どこもかしこも重複だらけであることに気づく。新しい遺伝物質だと思っていたものが、新たな用途に転用された古い遺伝物質のコピーだったりする。進化の創造力はどちらかと言うとモノマネ師の能力に近い。そのモノマネ師は、数十億年にわたり。古来のDNAやタンパク質、あるいは器官の設計図までをも複製し、改変してきた。

見境のない重複

ロイ・ブリテンは”科学者の遺伝子”を受け継いでいた。1919年に生まれ、異分子どうしの科学者の両親に育てられると、物理学を志し、ついには第二次世界大戦期にマンハッタン計画に従事した。しかし、年を追うごとに心の内の平和志向が強まり、新たな職を切望するようになる。その念願がかない、ワシントンD.C.の地球物理学の研究所に移籍した。1953年にDNAの構造が解明されると、絶えず新たな知的冒険を求めていたブリテンは、ニューヨークのコールド・スプリング。ハーバー研究所でウイルス学の短期講座を受講した。そして、その講座で得た知識を携え、DNAを新たなフロンティアと見定めて、DNAの構成を研究しはじめた。
ブリテンが虜になった課題は、「ゲノム内にはどれくらいの数の遺伝子があるのか」「それらはどう構成されているのか」を理解することだった。当時はまだゲノムの配列決定もできなかった頃で、ゲノムの構成については何も分かっていないに等しかった。ゲノム・シーケンサーもない中で、ブリテンは、先人の大野乾(1928~2000)と同じように、何か巧妙な実験を考案する必要があった。
大野の後に続いたブリテンにも、「ゲノムは重複した部分から成る」という直感があった。そこで、巧妙な実験を考案し、ゲノムに含まれているコピーの数を概算することにした。生物の細胞からDNAを抽出し、加熱して、DNAの2本鎖を何千個もの1本の鎖の断片にする。その後、条件を変えて、1本鎖の断片どうしが再結合して2本鎖に戻るのを待った。この実験のキモは、諸々の断片がどのくらいの速さで2本鎖に戻るかを計測することだ。ブリテンの考えでは、DNAが再結合する速度を測れば、ゲノム内にどのくらいの反復配列があるのかをおおよそ見積もることができるはずだった。なぜか? それは、DNAという分子の性質からして、同じ配列の断片が多いほど、”類は友を呼ぶ”方式で早く再結合するからだ。反復配列(つまり同じ配列)の多いゲノムのほうが、反復配列の少ないゲノムより、速く再結合するはずだった。
ブリテンは、まずウシとサケのDNAで見積もりを行い、その後、他の種も比較した。ゲノムに多くの反復配列が見つかることは予想していたが、結果はその予想を上回るものだった。

トウモロコシの遺伝子

バーバラ・マクリントック(1902~92)は、T・H・モーガン(通常は赤い眼を持つショウジョウバエの中に白い眼のハエを発見し、この「白眼」のハエを足がかりに染色体と遺伝子の役割を解明。ノーベル賞受賞者)の足跡をたどって遺伝の基礎を理解しようと志し、研究者としての道を歩みはじめた。しかし、不幸にも、彼女がコーネル大学に入った頃は、まだ女性が遺伝子を専攻することが許されていなかった。そこで仕方なく、”女性の学問”として認められていた園芸学を専攻した。しかし、彼女はそこであきらめなかった。結局、トウモロコシの遺伝を研究し新分野を開拓していたチームに合流した。
研究材料としてのトウモロコシには、モーガンのハエに勝る明らかな強みがあった。トウモロコシの穂には1本につき約1200個もの実が付く。マクリントックには、それらの実が遺伝学の研究にうってつけであることが分かっていた。何しろ、1粒1粒が別々の胚であり、つまりはれっきとした個体なのだ。今度トウモロコシをかじる時は、自分が遺伝的に異なる1000個体以上の生物を食べているのだと思ってほしい。マクリントックにとっては、トウモロコシの穂1本1本が、遺伝を探究するための”栽培場”だった。しかも、トウモロコシには多くの品種があって、実の色も白、青、斑入(ふい)りと多岐にわたる。1本の穂が、数千個体の発生を追う実験の土台にばるはず。その実験は、早くて安上がりで、なおかつデータもたっぷり取れるはずだった。
マクリントックは、モーガンのチームと同じように、染色体を可視化する技術を開発することから始めた。
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その後、1977年になって、他の研究施設が最近やマウスに(というより彼らが調べたすべての種に)跳躍遺伝子が存在する証拠を発見した。もう1つの驚きがもたらされたのは、研究者らが自らのゲノムを調べた時のこと。なんとヒトゲノムが跳躍遺伝子に乗っ取られていて、全体の70パーセントほどを占拠されていることが分かったのだ。跳躍遺伝子はむしろ主流の存在であり、例外などではなかった。ヒトゲノム内に膨大な数がある反復配列で、何度も重複するうちに数百万コピーを持つにいたった、ALUやLINE-1のことを覚えているだろうか。それらの配列こそが、自らのコピーをつくりながらゲノムのあちこちに入り込んでいく跳躍遺伝子だったのだ。ロイ・ブリテンが1960年代に巧妙ながらも荒削りな実験を通して見ていたのは、こうした跳躍遺伝子だった。
マクリントックは、跳躍遺伝子を発見した功績が認められ、1983年にノーベル医学生理学賞を受賞した。さらに、さかのぼること1970年には、リチャード・ニクソン大統領からアメリカ国家科学賞を贈られている。その授賞式でニクソンが語った彼女の研究についての見解は、いくぶん要領を得なかったものの、後世への影響を正しく評価していた。「私も<あなたの研究についての説明を>読んでみたが、理解できなかった。まずはそのことをお伝えしたい」。さらにこう言葉を継いだ。「しかし、自分が理解できなかったからこそ、あなたの研究が我が国に多大な貢献を果たしていることを、私は悟ったのだ。そのこともお伝えしておきたい。私にとって、科学とはそういうものだ」。
ゲノムは退屈で静的な存在ではない。絶えず活発にかき乱されている。遺伝子が重複することもあるし、ゲノムがまるごと重複することもある。遺伝子は自らのコピーをつくりながらゲノム内をあちこち跳び回っている。