じじぃの「科学夜話・犬の起源は東アジア・1万5000年前?ヒト、犬に会う」

『サピエンス全史』の認知革命「虚構を共有する」とは何か

動画 10mtv.jp
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虚構を共有できるようになった認知革命とは何か

長谷川眞理子総合研究大学院大学長)
まず『サピエンス全史』の認知革命について詳しく考えてみましょう。「虚構を共有する」とは具体的にはどういうことでしょうか。
●赤ちゃん、お母さん、犬の間の三項関係の例
三項関係の理解に関する説明では、私はワンワン(犬)をよく使います。かわいいワンワンがいると、赤ちゃんはワンワンを見て、それからお母さんの顔を見ます。そこで、お母さんもワンワンを見ていると認識します。その後、お互いに目を見合わせます。赤ちゃんは「ワンワンって言った」とお母さんに伝えます。お母さんは「そうね、ワンワンね」と返します。ここで、お互いに相手の頭の中にワンワンが映っていると思っているわけです。
赤ちゃんもお母さんも、個別にそのように認識しています。そして、目を見合わせてうなずくことを通じて、相手の頭の中にもワンワンがいることを、お互いに了解するわけです。

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『ヒト、犬に会う 言葉と論理の始原へ』

島泰三/著 講談社 2019年発行

はじめに より

かりに、真理を犬であるとしてみよう。
犬がいたからこそ大型類人猿の一種「ヒト」は「人間」らしくなり、犬がいたからこそ「ヒト」は「未開」を脱し、ついに現在の「文明」にまで至ったのだ、と。
それは、牧羊犬がいたので家畜が飼えたとか、猟犬との共同作業によって狩猟が効率的になったとか、トラやライオンなどの捕食獣や敵対する人間グループからの攻撃から身を守る重要な役割を果たしたのが犬だったというような、人間と犬との利害関係や友好関係から説明をしようとしていうのではない。
これらの犬の有用性は、人間との関係からいえばうわっつらの問題にすぎない。犬がもっている本質的な問題は、利害関係という域を超えている。それはもはや切り離せない共生関係、つまり運命共同体である。

第2章 イヌ、ヒトに会う より

東アジア起源説――1万5000年前

ストックホルムスウェーデン王立工科大学のピーター・サビライネンらは、全世界から654頭の犬のミトコンドリアDNAのサンプルを集めて、世界の「いつ、どこで?」飼い犬が誕生したかを決定しようとした。サンプルは、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、東アジア(中国、日本、南東アジアその他)、南西アジア(「中国とインドの西」と定義されたトルコ、イラン、イスラエルなどの地域)とインドとに区分されている。その結論は「飼い犬の起源は4万年前の東アジアで、そこから世界に広がった」のだが、自分たちの研究以外の情報を総合するとその年代は「1万5000年前であるとするほうが妥当である」とした。(Savolainen et al., 2002)
もっとも包括的な犬のミトコンドリアDNAの研究は、1543頭の犬と40頭のオオカミを対象に行われたもので、犬の起源は1万6000年から1万5000年前の揚子江南部地域であると、起源地域まで特定した(Pang et al., 2009)。この起源地域の推定結果は、Y染色体DNAの研究からも支持されている。(Ding, 2012)
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オーストラリアの土着の犬ディンゴの起源は、すでに家畜された犬の小グループが、4000年前(1万6000年前から5000年前までの間とも)に持ち込まれたものらしい。また、南アフリカ南アメリカにイヌが持ち込まれたのはわずかに1400年前よりも後のことである(Larson et al., 2012)。さらにマダガスカルの犬はアフリカ起源で、しかもそれが非常に新しいことも分かってきた。
ホモ・サピエンス=ヒトがオオカミ亜種のイヌを自分の生活圏の中にニッチを持つ特別な動物種として伴った時、そのことによってお互いの弱みを補強できた時、ヒトは人となり、イヌは犬となり、それ以来決して離れることのない強い関係が結ばれた。それはほとんど共生と言えるほどの強固な結びつきとなった。そのことによって、犬――人間関係はただごとでなくなる。原子令三(生態人類学)さんが書き残したように、「星のふる夜を語り明かす」関係が誕生した。
最終氷期の気候の大きな特徴である気候の激変、あまりにも暑い夏、極端に寒い冬が熱帯地域にも繰り返して襲ってくる。バナナをからし、ヤシを根こそぎにする気候変動に続く飢饉は、ヒトの心に大きな影響を与えただろう。それは欠乏の時だったが、同時に心を豊かにする時代だっただろう。危機に直面して「作為的呼び声」もまた、頻繁になったはずである。その時期こそ、誰かに助けを求めなくてはならなかったからである。助けを求める声は、助けることができる者もいることが前提である。そういう関係が人と犬との間にも作られはじめていた。
それは、あまりにも犬の過大評価ではないか、と考える人は多いだろう。確かに現代では想像もできない。しかし、過酷な環境のもとでは、特に厳寒の冷酷な現実のもとでは、生か死かをめぐる時の助けは、犬からしか来ないことが多々ある。その実例を、私たちはのちにアラスカや南極の例から知ることになるだろう。それこそは、氷期の極大期に人間社会の存続を左右する助けだった。
ヒトの集団のまわりについてきたイヌたちへ食物を分け与えることは、ヒトのお互い同士の分配以上に重要だった。この供物によって、イヌたちはただの残飯、糞や死体食者としてのフォロワーから共同生活の随伴者「犬」として、共同体内の地位の階梯を一段のぼることになった。それは、ヒトにとっても、生活のレベルだけでなく心の階梯を一歩あがるこっとを意味していた。

この心の階梯が一歩進んだ時、1万5000年前にイヌが家畜化された時代の前後こそ、ヒトの歴史上でもっとも華やかな文化にあふれる時代であり、洞窟絵画と縄文土器が出現する。