じじぃの「歴史・思想_551_嘘の世界史・貧しいリチャードの暦」

Poor Richard's Almanack: Ben Franklin's Aphorisms and Quotes

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Eu7hsaTookc

Poor Richard’s Almanack

アメリカ独立の父 ベンジャミン・フランクリンは華麗なるペテン師だった

●ライバル、タイタン・リーズの死を予言する
貧しいリチャードの暦の発行部数を伸ばしたいベンジャミンも、なんとかライバルを蹴落として注目を浴びようと、ある手段を考えます。それは、それまでの口汚い罵ののしり合いが可愛く見えるような奇想天外なものでした。
それは、大御所の暦こよみ出版社、タイタン・リーズの死を宣告するものだったのです。ベンジャミンは占星術で、リーズが1733年10月17日の3時29分、太陽と火星が重なり合うまさしくその時に亡くなると、1732年の暦で予言しました。
https://hajimete-sangokushi.com/2020/09/29/benjamin/

『とてつもない嘘の世界史』

トム・フィリップス/著、禰宜田亜希/訳 河出書房新社 2020年発行

第2章 フェイクニュースは昔から より

タイタンの<ポスト真実>の苦境が始まったのは、単に暦のライバル業者が川下に引っ越してきたからだった。暦と言えば、1730年代のアメリカでは一大事業だった。タイタン・リーズは父が引退するときに『リーズの暦』を引き継ぎ、この事業で絶好調だった。父のダニエル・リーズは、イングランドのケント州リーズのクエーカー教徒の家庭に生まれた。そこで宗教上の迫害の始まりに直面し、リーズ一家は旧世界での宗教的な抑圧から逃れるべく、1677年にアメリカに移住した。その結果、新世界での抑圧にぶち当っただけだった。
ダニエル・リーズは独学で身を立てた思慮深い人物で、若いころは霊的な幻覚がよく起こり、ときに感きわまって涙することもあった。とてもきわだった独特の人生哲学の持ち主で、それは異端のキリスト教神秘主義に、科学への深い愛がないまぜになったものだった。彼は自分が心に思うありのままの真実を広めいた思いに突き動かされて印刷屋になった。初めは草分けとなった暦を、そして、人生や神についての集大成となる書物も制作した。それは生涯の仕事の頂点をなすものだったが、異端の思想や占星学を多用したことに怒りを燃やした人たちと真っ向からぶつかった。バーリントンの町を築いてきた地域社会の同じクエーカー教徒たちがリーズの事業を拒み、最初の暦の販売をさまたげ、ほぼ全冊を火にくべて燃やした。
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暦になじみのない方のためにご説明すると、歴は翌年に役立つ情報を予測して載せた案内書のようなものだった。その何百年か後に新聞がこれと同じ役割を果たすようになり、スポーツの結果、テレビ番組表、社説、天気予報、ちょっとした占星術があった(皆さんもおわかりのとおり、テレビ番組表は1730年代にはあまり必要なかった)。まだ農業が主体だった社会では、何時に陽が上り、何時に沈むか、いつ潮が高くなり、いつ季節が変わるか、などという知識を得られることが大事だった。マサチューセッツナサニエル・エイムズが発行していた当時の主要な暦は年に5万部以上の売上があり、これはまだ若い印刷業界では莫大な部数だった。ベンジャミン・フランクリンがなぜ、その分け前にあずかりたかったかがおわかりだろう。
そういうわけで、フランクリンは1732年、『貧しいリチャードの暦』の事業に乗り出しあ。これは「リチャード・ソーンダーズ」という偽名を使い、食うや食わずの夢想家夢せ想家が口うるさい妻から日々の糧を得るようにせっつかれ、しかたなく執筆せざるをえなくなったという人物設定で書かれた(フランクリンは別人になりすますのがめっぽう好きだった。ネタバレ注意――ベンジャミン・フランクリンのなりすましが本書で大きな役割を果たすのはこのときばかりではない)。
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これで話は終わりだと思うかもしれない。それまで「死んだ」と言ってからかい続けてきた人物が、だしぬけに現実の世界で本当に亡くなったとなれば、たいていの人々の反応はおそらく……なんというか、良心の呵責を感じて、もうからかうのをやめるだろう。あなただったらやめるのではないか?
ところがフランクリンはそこでやめなかった。
とんでもない。やめるどころか、なんと、あの世から届いた亡霊の手紙だとうそぶいて、タイタン・リーズの霊言を1739年に発行した。そして、「貧しいリチャード」が言い続けてきたことは最初から最後までずっと正しかったと念を押し、タイタン・リーズは本当に1733年に亡くなっていて、それ以後、何年か発行されてきた暦はなりすましが書いていたと言い張った。
端的に言わせてほしい。ベンジャミン・フランクリンは、ネットで使われる今どきの言葉で言うなら、ヘビー級の「荒らし」だった。
それも、成功した荒らしだった。うまく行ったのだから。『貧しいリチャードの暦』は大ヒットとなった一方で、リーズの暦は売上が減少し、10年後には発行中止となった。フランクリンの暦は競合より切れ味がよく、娯楽として楽しめるものだった。そして、商売のやり口は競合より情け容赦なかった。フランクリンは暦の占星術を使ってしたたかな攻撃をし続けたばかりではなかった。リーズ一家はおかしな信仰とかかわりがあると言いふらしたばかりか、一家にたいする昔の中傷を蒸し返し、「サタンの手先」だとゴシップをばらまいた。フランクリンが書いたことがじつは本当でなかったという事実は…てん読者にはわりとどうでもよかったようである。
これこそ、いろいろな意味で本書の要点である。これから見ていくように、歴史を通じて、真実の話か、それともよくできた作り話かとなったら、私たちはよくできた作り話を取るものだ。