じじぃの「WTCのツインタワーを命綱なしで渡った大道芸人!ザ・ウォーク」

The Walk Official Trailer #1 (2015) - Joseph Gordon-Levitt Drama HD

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eKSeSX-dzso&t=22s

Philippe Petit


Philippe Petit

OCTOBER 23, 2015 Killing Time
Twelve people have walked on the moon, but only one man - Philippe Petit - has ever, or will ever, walk in the immense void between the World Trade Center towers.
https://sleeplessthought.wordpress.com/tag/philippe-petit/

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

WTCのツインタワーを命綱なしで渡った大道芸人フィリップ・プティの華麗なる犯罪

2001年9月11日、アメリ同時多発テロの標的となったニューヨーク・マンハッタンのワールドトレードセンター(以下WTC)。世界のビジネスの中心的役割を担っていた超高層オフィスビルは、ハイジャック機2機の激突により南棟、北棟ともに無残に崩壊した。
事件が起きる27年前の1974年、WTCのツインタワーの間にワイヤーを張り、綱渡りを成功させたフランス人男性がいる。フィリップ・プティ(1949年生)。地上411メートルの高さを命綱なしで自由に歩く彼の姿はニューヨーク市民の度肝を抜いた。映画「ザ・ウォーク」は、プティと仲間が、この”犯罪”を達成するまでの過程を描いた冒険ドラマである。
動画は1973年、フランス・パリで大道芸人として活動していたプティ(演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が、歯医者の待合室にあった雑誌にWTC建設中の記事を見つけ、ここで綱渡りすることを夢見るシーンから始まる。が、実際にプティがWTCの存在を知ったのは1968年、18歳のとき。廃車の待合室の新聞で読んだWTC建設の記事に驚き、将来の具体的な目標を定める。
当時、彼は駆け出しの大道芸人だった。幼い頃からあらゆる物に上って人々から遠ざかろうとする変わり者で、呆れた両親は16歳で息子を勘当。プティは単身パリに出て、一輪車やジャグリングを人々に披露し日銭を稼ぐとともに、独学で綱渡りを学んでいた。
最初に彼が綱渡り師として注目されるのは1971年6月26日。パリのノートルダム大聖堂に無許可で侵入。聖堂内で壮大な儀式が行われている最中、建物最上階の2つの尖塔(高さ42.3メートル)の間にワイヤーをかけ、その上を歩きジャグリングをしてみせた。直後にプティは不法侵入罪で逮捕されるが、地上から彼を見た市民は拍手喝采を送る。
プティは命綱なしの綱渡りにこだわり、その行為を犯罪と捉える一方、自身を芸術家・詩人と鼓舞していた。そんな彼に魅了されたのがプティが呼ぶところの「共犯者」たち。最初の共犯者は恋人のアニー・アリックス。2人目が幼馴染のカメラマンのジャン=ルイ。その他、友人のジャン・フランソワなどが共犯者となり、プティの手助けをする。
劇中には出てこないが、プティは1973年6月、オーストラリア・シドニーのハーバー・ブリッジ(高さ134メートル)北側の鉄塔での綱渡りも成功させている。WTCへの挑戦は間近に迫っていた。
1974年1月、プティは初めてニューヨークへ渡り、WTCを直で見る。この時点でWTCは開業していたが、高層階や屋上はまだ工事中で、ミッション敢行は自ずと工事が終わるまでに限られていた。
プティは何度もWTCに通い、建物を徹底的に観察する。屋上に上がるエレベーターの数と種類。警備員の動き。ワイヤーの設営法、風速、揺れの度合い、このとき彼の心強い共犯者となったのが、バリー・グリーンハウスなるアメリカ人の男性だ。彼は当時、ニューヨーク州保健局の調査部で課長補佐を務めていた人物で、その事務所はWTC南棟の82階にあった。グリーンハウスは以前、パリでプティの大道芸を見たことがあり、建物視察中のプティを偶然目撃し声をかける。
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そしていよいよ決行のときが訪れる。1974年8月6日夕方、配送業者を装ったプティとフランソワがヘルメットに作業着姿で、必要な道具を乗せた車で南棟に侵入。北棟にはビジネスマンになりすましたジャン=ルイとアメリカ人協力者アラン・アルバートが潜入した。
当初の計画では、グリーンハウスの事務所がある32階まで貨物用エレベーターで上り、そこから階段で屋上に荷物を運搬、暗くなった頃を見計らい設営に入る予定だった。が、エレベーター係が「何階へ?」と尋ねたことでプティは「104階に」の返答。屋上に近いに越したことはないのだが、104階で荷ほどきを始めた瞬間、警備員が出現。プティとフランソワはとっさにフロア隅の防水シートに隠れ、そのまま時間をやり過ごすことになる。
23時。警備員が去ったのを確認し、2人はシートを脱出。道具を手に屋上へ上る。北棟屋上にはすべにジャン=ルイが待機していた。
問題は南棟、北棟の間にいかにしてワイヤーをかけるか。両タワーの距離は約42メートル。当初はラジコン機でワイヤーを運ぶ、ワイヤーをつけた球を投げるなどの案が出たが、どれも現実的ではなく、最終的に弓矢で釣り糸を飛ばし、その先についたワイヤーを手繰り寄せる方法が採用された。
暗闇の中、腕の上げ下げを合図に北棟のジャン=ルイが矢を飛ばす。南棟のプティは裸になり釣り糸が体に触れるのを確認し、そこから大急ぎでワイヤーの設営に入る。
準備が完了したのは、貨物用エレベーターが動き始めた直後の翌7日午前7時過ぎ。プティは、南棟屋上からバランス棒を持ちワイヤーの上を歩き出した。地上で、数日まえにニューヨークに来ていたアニーが上空を見上げて叫ぶ。
「みんな見て。綱渡りよ、あの上を渡っているの!」
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ワイヤーの上で舞うこと45分間。プティはついに南棟の屋上に戻り、そのまま警察に逮捕・拘留される。罪状は不法侵入罪と治安紊乱(びんらん)罪だった。
対して、ニューヨーク市民はプティの”華麗なる犯罪”に快哉を叫び、新聞・テレビも彼をヒーロ扱いした。こうした世論に押され、検察当局はプティに提案する。セントラルパークの子供たちに無料で綱渡りを披露したらお咎めなしにする、と。映画は、偉業を成し遂げたプティにWTCの展望台への永久無料入場証が授与されたことを告げて終わる。が、現実はほろ苦い結末を迎えている。映画の終盤で、フランスへ帰るアニーとアメリカに残るプティの別れのシーンが描かれる。劇中で具体的に語られないものの、アニーは悟っていた。プティはヒーロー。完全に別世界の人間になってしまったのだ、と。
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プティに別れを告げたのはアニーばかりではない。無罪同様の処分で終わったプティに対し、協力者のフランソワは国外永久追放に。ジャン=ルイもフランスに帰国し、以降彼らの関係は疎遠になってしまったという。
その後、プティはフランスに戻ることなくニューヨークで暮らし、1980年代から1990年代にかけ、アメリカ国内のイベントに呼ばれ綱渡りを披露。2008年、自身を主人公にしたドキュメンタリー映画「マン・オン・ワイヤー」で積極的にインタビューに応じ、本作「ザ・ウォーク」では、主演を務めたジョセフ・ゴードン=レヴィットを直々に指導した。

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