じじぃの「タロとジロ・昭和基地・奇跡の生還劇の舞台裏!南極物語」

1959年1月、南極で再会したタロ、ジロと北村泰一さん

タロ・ジロと生きた第3の犬追う 誰も知らない「南極物語」出版

2020/3/18 西日本新聞me
「タロとジロの奇跡」で知られる南極・昭和基地に“第3の犬”がいた-。
極寒の地に置き去りにされた樺太犬タロとジロを1年後に現地で保護した第1次、第3次越冬隊員の北村泰一九州大名誉教授(88)=福岡市=が、2匹と一緒に生きていた可能性がある樺太犬の存在を追うノンフィクション「その犬の名を誰も知らない」が出版された。北村さんと共に調査し、執筆した元西日本新聞記者の嘉悦洋さん(68)=同=は「知られていなかった犬たちのドラマを通して動物の命を考えるきっかけになれば」と話している。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/592821/

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

南極物語 より

タロとジロ、奇跡の生還劇の舞台裏

1983年公開の「南極物語」は、日本最初の南極観測隊に同行し、やむなく極寒の地に置き去りにされた兄弟犬のタロとジロが、1年後に生きて発見された奇跡の実話を映像化した作品である。映画は興行収入110億円をあげる大ヒットとなり多くの感動を呼んだが、その内容は史実と少なくとも隔たりがある。
舞台は1957年の南極・昭和基地。観測隊員の潮田暁(演:高倉健)越智健二郎(演:渡瀬恒彦)がカラフト犬を訓練しているシーンから映画は始まる。
2人には実在のモデルがいる。潮田は、北海道大学で地質学を学び、卒業後、商工省(現在の経済産業省)の地質調査所で働いていた菊池徹(1921年生)。越智は、京都大学理学部地球物理学科の修士課程に在籍中だった北村奏一(1931年生)だ。
日本が初めて南極に観測隊を送ったのは1956年11月。全国から選抜された総勢53人の隊員が東京湾より海上保安庁砕氷船「宗谷」で出発し、1957年1月、南極・東オングル島に到着。ここに活動拠点となる昭和基地を建設し、南極大陸の天文・気象・地質・生物などの観測に従事する。
隊員の輸送を支えたのは、屈強なカラフト犬である。厳しい環境ゆえ、当時の最新鋭の雪上車はいったん故障すれば機能しなくなる危険性が高い。そのため多少の故障でも素早く直せる犬ゾリが安全な移動手段であり、第1次観測隊には22頭のカラフト犬が同行。タロとジロもその中の2頭で、菊池と北村が犬の世話係を任されていた。
1958年1月、観測隊員のうち菊池と北村を含む11人が昭和基地で冬を越す(第1次越冬隊)。計画では翌2月に第2次観測隊と交替する予定だった。この時点でカラフト犬は病死や行方不明などで15頭に減っていた。
ところが、ここで思わぬ事態が起きる。第2次観測隊を乗せた宗谷を、稀にみる悪天候が襲ったのだ。それでも、第2次観測隊は1次隊員を全員宗谷に収容した後、昭和基地へ到着する旨、通達する。カラフト犬15頭については、到着後すぐに使用するため首輪に繋いだ状態で残してほしいという要望だった。
第1次越冬隊は、犬を放置するのはせいぜい数日と判断、全員が宗谷に移動する。が、天候は一向に回復せず、最終的に第2次観測隊は南極上陸をあきらめ、15頭のカラフト犬を置き去りとする決断が下された。
世話係の菊池と北村が上の命令に納得できず、最後まで犬を救うべく奮闘する姿は劇中でも描かれているが、高倉健演じる潮田隊員が最後のヘリで昭和基地に行き青酸カリで毒殺することを要望する場面は創作である。モデルとなった菊池はヘリで昭和基地に行き、犬と一緒に自分も置き去りにしてくれるよう嘆願、却下されたそうだ。
    ・
さて、残された犬はどうなったか。映画では、自力で首輪を外したカラフト犬が、海水の割れ目に入った魚や、集団でアザラシを襲いその肉を食すなどして生き延びたり、途中で息絶えるシーンが切々と描かれている。
後の検証によれば、菊池や北村らが昭和基地を去る際、カラフト犬の周りにはアザラシの死骸や携帯用の餌があったが、犬がこれらを口にした形跡はなかったそうだ。代わりに犬が主食としたのはアザラシの糞と言われ、これには未消化の小エビや稚魚が含まれており、栄養が豊富だったという。
もっとも、極寒の地に置き去りにされた犬が生きているとは想像しがたく、第1次越冬隊の帰国から5ヵ月後の1958年7月には大阪府堺市に15頭を供養する銅像が建立される。カラフト犬は全て死亡したとみなされたのだ。
しかし、奇跡は起きる。1959年1月14日、第3次観測隊が生存するタロとジロを発見したのだ。映画では、昭和基地付近で潮田隊員が遠くに2頭の犬を発見、越智隊員が「タロ! ジロ!」と呼びかけ涙の再開を果たしている。
このドラマチックな場面も史実とは異なる。まず、潮田隊員のモデルとなった菊池は第3次観測隊に参加していない。また発見された状況も、ヘリコプターが上空から生存する2頭を目視したのが最初で、その後、北村が別のヘリで機知に着陸、タロとジロを確認したのが事実である。ちなみに、北村は2頭が1年前に比べ丸々と太っていたためすぐには判別ができず、片っ端から名前を呼び、最後に試しに「タロか」と呼ぶと尻尾が揺れ、じゃあこっとはジロだろうと「ジロ」と呼んだところ、ペタリと座り、前からの癖である右前脚を上げる仕草をしたことで確信に至ったそうだ。
昭和基地に残された15頭は、7頭が首輪に繋がれたまま絶命しており、6頭が行方不明(1968年、リキと思われる死骸が発見されている)。タロとジロが生き延びたのは、2頭が最初の越冬当時1歳と、他の犬より若く体力があったことに加え、首輪を抜けた8頭のうち6頭が帰巣本能で日本に向かって走り行方不明になったと考えられているのに対し、タロとジロは日本で過ごした器官が短く帰巣本能が昭和基地に働いていたためと推察されている。
その後、タロは第4次越冬隊とともに1961年5月、4年半ぶりに帰国。1970年まで北海道大学植物園で飼育され、同年8月11日、老衰のため14歳7ヵ月で死去。ジロは第4次越冬中の1960年7月9日、5歳で病死した。
また犬の世話係だった菊池は長年、北極地域鉱山の調査開発事業に携わり、2006年4月、移住先のカナダ・バンクーバーで死亡。北村は同志社大学工学部講師、九州大学理学部教授を経て、1995年より同大学の名誉教授である(2021年6月現在、存命)。

                  • -

南極物語 菊池 北村」画像検索
https://www.google.com/search?q=%E5%8D%97%E6%A5%B5%E7%89%A9%E8%AA%9E+%E8%8F%8A%E6%B1%A0+%E5%8C%97%E6%9D%91&tbm=isch&ved=2ahUKEwiF3oW-5p_yAhWTc94KHXN-BlcQ2-cCegQIABAA&oq=%E5%8D%97%E6%A5%B5%E7%89%A9%E8%AA%9E+%E8%8F%8A%E6%B1%A0+%E5%8C%97%E6%9D%91&gs_lcp=CgNpbWcQA1DYX1jYX2D8ZmgAcAB4AIABU4gBU5IBATGYAQCgAQGqAQtnd3Mtd2l6LWltZ8ABAQ&sclient=img&ei=z_MOYcW6IJPn-Qbz_Jm4BQ&bih=576&biw=955&rlz=1C1CHPO_jaJP580JP580