じじぃの「前田高地の戦い・沖縄戦の英雄は何を体験したか!ハクソー・リッジ」

Hacksaw Ridge (2016) Official Trailer - “Believe” - Andrew Garfield

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=s2-1hz1juBI

During the battle, Hacksaw Ridg

The Real 'Hacksaw Ridge' Soldier Saved 75 Souls Without Ever Carrying A Gun

November 4, 2016 NPR
Doss' commanding officer, Capt. Jack Glover, tried to get him transferred. In the documentary, Glover says Doss told him, " 'Don't ever doubt my courage because I will be right by your side saving life while you take life.' " Glover's response: " 'You're not going to be by my damn side if you don't have a gun.' "
But hard as they tried, the Army couldn't force Doss to use a weapon. A 1940 law allowed conscientious objectors to serve the war effort in "noncombatant" positions, so Doss went with his company as a medic to the Pacific theater. And at Okinawa in the spring of 1945, Doss' company faced a grueling task: Climb a steep, jagged cliff - sometimes called Hacksaw Ridge - to a plateau where thousands of heavily armed Japanese soldiers were waiting for them. The terrain was treacherous. "It was full of caves and holes and the Japanese were dug in underground," says Mel Gibson, who re-created the battle in Hacksaw Ridge. "...The Japanese called it 'the rain of steel' because there was so much iron flying around."
https://www.npr.org/2016/11/04/500548745/the-real-hacksaw-ridge-soldier-saved-75-souls-without-ever-carrying-a-gun

『映画になった奇跡の実話 これが美談の真相だ』

鉄人ノンフィクション編集部 鉄人文庫 2021年発行

沖縄戦の英雄デズモンド・ドスは「前田高地の戦い」で何を体験したか

2016年に公開されたメル・ギブソン監督のアメリカ映画「ハクソー・リッジ」は、第二次世界大戦に従軍し、沖縄戦での激戦地のひとつ「前田高地(ハクソー・リッジ)」で、少なくとも75人の負傷兵を救い出した衛生兵デズモンド・ドスの実体験を描いた作品だ。プロテスタントの中でも特に聖書の教えに厳格なクリスチャンである「第7日安息日再臨派」教徒の彼は”非暴力”や”安息日尊守”を信条とし、兵役に就きながらも武器を持つことを拒否。上官や仲間に疎まれながらも自らの信念を貫き通し、アメリカ軍人最高位の名誉勲章を受章するヒーローとなった。
デズモンド・ドスは1919年、第一次世界大戦の従軍によってPTSDに苦しむ父と、敬虔な「第7日安息日再臨派」教徒の母の間に生まれた。
映画では、緑豊かなバージニア州の田舎町で兄とともに野山を駆け巡っていた子供の頃、喧嘩になってレンガで兄の頭を殴打。瀕死のケガを負わせてしまったことから、”非暴力”の教えを心に刻み込み、人を助ける医学を志したように描かれている。が、実際は、デズモンドは姉と弟との3人姉弟。平和主義に目覚めたのは、母親のしつけが大きかった。
信心深い青年に成長したデズモンドは、高校を卒業後、造船所の家具職人として働き出すが、アメリカの第二次世界大戦参戦を機に、兵役を受け入れ陸軍に志願する。ところが、「銃に触れない」「土曜日は安息日」との戒律を守ろうとするデズモンドに、上官はもちろん仲間たちも戦場で自分たちの足手まといになると露骨に嫌悪感を表し、映画で描かれているとおり、隊を辞めさせようとイジメの標的にした。
劇中では、どんな目に遭わされても銃を持たないデズモンドに業を煮やした軍幹部が、彼の結婚式の日にさえ彼に休暇を与えず、ついには除隊させようと軍法会議まで開廷。それを聞いたデズモンドの父親が、従軍していた当時に指揮官に連絡を取り、「良心的兵役拒否」は憲法で認められていると意見してもらうことでデズモンドは武器を持たない衛生兵という立場を勝ち取る。大まかな流れは事実どおりだが、実際のデズモンドは教会で出会った女性ドロシー(劇中では看護婦)と入隊前に結婚しており、休暇を希望したのは海軍に入っていた弟が海外に従軍するのを見送るためだった。休暇が認められないと聞いた父親は、ワシントンの教会の「戦争サービス委員会」に連絡。教会から軍に調査の電話が入ったことでデズモンドに3日間の休暇が与えられたそうだ。
映画の大きな見所が、沖縄戦の中でも最も激しかった「前田高地の戦い」を再現したリアルな激闘描写だ。1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島中部に上陸すると、日本軍は司令部のあった那覇市首里への侵攻を防ごうと約150メートルの絶壁・前田高地に防衛線を張って迎え撃った。こうして「ありったけの地獄をひとつにまとめた」と言われる日米両軍の死闘が繰り広げられたのである。
劇中では、デズモンドは新兵訓練からいきなり沖縄に送られ、「前田高地の戦い」に参加。弾丸が飛び交うなか、自分の身を顧みることなく次々負傷兵を助け出す姿が描かれる。が、実際には、沖縄戦の前にグアムとレイテ島の闘いに従軍して救護活動に従事している。また、映画では戦闘シーンを合成・改変して3日間にまとめているが、実際に「前田高地の戦い」が終わるまでには1ヵ月かかっている。
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戦争終結後の1945年10月12日、デズモンドには功績を称えられ、アメリカ軍人に贈られる勲章としては最高位の名誉勲章メダル・オブ・オナー)を授与され、「良心的兵役拒否者」として史上初めての受賞者となった。が、戦後は戦場で負った傷や病気に苦しめられ、かつての家具職人の仕事を断念。レイテ島で感染した結核が発症し、長い闘病の末、2006年、アラバマ州の自宅にて87歳で亡くなった。
メル・ギブソン監督が日本人、特に沖縄の地元の人たちを慮り、映画には米軍が戦った相手兵士の様子や、戦地の姿は必要最小限しか出てこない。しかし舞台となった「前田高地の戦い」では、一般の日本人も巻き込まれ大きな犠牲を余儀なくされた。米軍が行った空からのナパーム弾攻撃によって地元・浦添村の住民の44.6%に当たる4千人以上の住民が死亡、村の23%が一家全滅という悲惨な統計が残っている。

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