じじぃの「動的平衡・食うも食われるも利他的行為?いのちの授業」

『Love & Harmony』 Winter,2020-21

いのちの授業 動的平衡 【執筆者】生物学者 福岡伸一(後編) より

今日の私は昨日の私ではない

人間の消化管の細胞は2、3日で分解され、代わりに新しい細胞が作られます。こうして数ヵ月たつと、自分の体のかなりの部分は入れ替わっているのです。よく「お変わりありませんね」とあいさつしますが、それはうそ。今日の私は昨日の私ではなく、1年もたつと物質的にはまったく別人と言っても過言ではないのです。こうした変化を続けている生命のあり方を私は「動的平衡」と呼んでいます。

「食う、食われる」関係

私たちが食べる物は、肉であれ穀物であれ、他の生物の体の一部です。人間と動植物は「食う、食われる」の関係にありますが、弱食強食という言葉からイメージするような生存競争ではありません。
「食う」側は食べる物があるから存在でき、「食われる」側は食べられることで個体数をコントロールしています。「食う、食われる」は利他的な行為で、共存共栄している。「食う、食われる」の食物連鎖も生態系全体の「動的平衡」なのです。
人間は他の生物に食べられることはありませんが、生態系の頂点に位置している訳でもない。新型コロナウイルスに影響されているように、他の生物によって制御を受けている、生態系というパズルのピースの1つなのです。

人間のあり方を見つめ直す

人間は他の生物の恩恵の上に成り立っています。人間もまた他の生物に何らかの寄付をしないといけません。
しかし、人間はここ数百年の間、地球環境に大きな負荷を掛けてきました。例えば、二酸化炭素地球温暖化の原因とされますが、それ自体は悪者ではありません。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「ピンポーン!」
「また、雑誌持ってきました」
小太りのおばちゃんが、今年になって毎月やってくるようになった。
「今日は、かずのこ入りの佃煮を持ってきました」
『倫風』 1月号と、一緒に渡された小冊子『Love & Harmony』を読んでみた。
この小冊子に生物学者 福岡伸一さんの「動的平衡」が載っていた。

「食う、食われる」は利他的な行為で、共存共栄している。「食う、食われる」の食物連鎖も生態系全体の「動的平衡」なのです。

半年前に、古本屋で『「長生き」が地球を滅ぼす』という本を買ってきた。
本のタイトルにあるように、人間は他の生物をせっせと食べて、長生きするようになった。
私個人から見て、人の役に立ってきたとはとても思えず、すべてに対して「与える」側ではなく、「奪う」ということをやってきたような気がする。
「食う、食われる」は利他的な行為?
「食う」だけの人間は、困ったもんです。 (^^;;