じじぃの「現存する日本最古の写真は?死ぬまでに観ておきたい世界の写真」

1001 Photographs: You Must See Before You Die/Octopus Publishing Group

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aljZCIcqe7Y

現存する日本最古の写真は?

1923 浜田彦蔵墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

2019/10/08 本牧Jack『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑
浜田 彦蔵(はまだ ひこぞう、天保8年8月21日(1837年9月20日) - 明治30年(1897年)12月12日)は幕末に活躍した通訳、貿易商。「新聞の父」と言われる。洗礼名はジョセフ・ヒコ (Joseph Heco)。幼名は彦太郎(ひこたろう)。帰国後は「アメ彦」の通称で知られた。
●写真
平成18年(2007年)3月27日放映の情報系バラエティ番組『開運!なんでも鑑定団』にてスイスの写真研究家、ルイ・ミッシェル・オエールから彦蔵(ジョセフ・ヒコ)の写真の鑑定依頼があった。
鑑定の結果、サンフランシスコ到着後に撮影されたものと断定、日本人を撮影したダゲレオタイプ写真の最古の記録を塗り替える大発見となった。
http://honmokujack.blog.jp/archives/19500873.html

『死ぬまでに観ておきたい 世界の写真 1001』

ポール・ロウ/著、小川浩一、竹村奈央、風早仁美/訳 実業之日本社 2019年発行

遠藤又左衛門と従者 より

エリファレット・M・ブラウン
撮影年:下田、日本
フォーマット・ダゲレオタイプ
エリファレット・M・ブラウン(1816~86)は、日本の記念写真を撮った人物としては最初期に属する。
彼は、歴史に名高い、マシュー・C・ペリー提督率いるアメリカの使節団の公式写真家として、開港前夜の日本の港を訪れた。ペリーの遠征隊は2年のうちに2回、1853年と54年に日本を訪問した。記録によれば、ブラウンはダゲレオタイプ写真を400枚ほど撮影したが、そのうちのわずかしか現存していない。しかし、一部の写真は石版画の形で、1856年出版の『ペリー提督日本遠征記』に挿絵として掲載されている。
この印象的な肖像写真の被写体は、箱舘(函館)知事の遠藤又左衛門と「彼に随行した2人の重臣」石塚官蔵、工藤茂五郎である(画像参照)。全体として、ブラウンの写真は日本の伝統的生活の魅力的で情報の富んだ記録になっており、被写体も風景、街並み、着物を着た女性や日本の政財界の重鎮の肖像など、実に幅広い。
アメリ使節団は1854年3月31日、日米和親条約終結にこぎつけ、アメリカの船舶に対し下田と箱舘の両港が開かれることになった。

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「Eliphalet Brown Jr」 画像検索
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