じじぃの「歴史・思想_335_エネルギーの世紀・アジアの4頭の虎」

Four Asian Tigers Explained | Taiwan Explained, Nov. 7, 2019 | Taiwan Insider on RTI

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I8xykW3AG1o

The Asian Tigers

Development & globalisation
The Asian Tigers are made up of four countries in east Asia - South Korea, Taiwan, Singapore and Hong Kong.
They all went through rapid growth by going through industrialisation since the 1960s when TNCs looked for areas with cheap labour and low costs for other things. They are considered as the first generation of NICs. Japanese TNCs were among the first to seek new areas for their operations so they chose their less developed neighbouring countries, particularly South Korea and Taiwan as a host nation for factories and manufacturing.
http://developmentandglobalisation.weebly.com/the-asian-tigers.html

アジア通貨危機とその伝播

内閣府 経済社会総合研究所
1997年7月にタイでの通貨下落を皮切りにアジア通貨危機が発生し、アジア各国は変動相場制を導入せざるをえない状況に追い込まれた。
このアジア通貨危機はアジア域内にとどまらず、ロシア、中南米へ伝播した。アジア通貨危機の影響で短期資金が急速に引き上げられ、IMFの緊急融資を受ける状況へ追い込まれた国もあった。
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しかし、信用を失ったパーツの下落は止まらず、為替レートは危機前1米ドル=25.78バーツだったが半年後1998年1月には1米ドル53.81パーツまで落ち込んだ。
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それまでに先に挙げたアジア諸国に投下されていた外貨資金が、通貨危機により急速に流出したため、アジア諸国の経済は自国通貨ベースでの対外債務の急増と企業債務の増加、銀行資金内容のあった(とくに不良債権の増加)と信用収縮などの要因により深刻な打撃を受けた。とくにファンダメンタルズの悪化に直面したタイ、インドネシア、韓国の3ヵ国がIMF等からの国際的支援を求めることとなった。
http://www.esri.go.jp/jp/prj/sbubble/history/history_02/analysis_02_04_03.pdf

『探求――エネルギーの世紀(上)』

ダニエル・ヤーギン/著、伏見威蕃/訳 日本経済新聞出版社 2012年発行

スーパーメジャー より

TAP(アジア天然ガスパイプライン)とCAOP(アジア石油パイプライン、”実現しなかったパイプライン”)はアジア市場をターゲットにしていた。それはアジアが好景気に沸いていたからだ。だが、1997年7月、絶頂にあったタイ経済が通期危機に打ちのめされ、数年来の経済発展の大部分がもとの木阿弥になりかけた。危機はたちまちひろがり、アジア全域とアジア経済の奇跡そのものを脅かした。グローバルな金融と世界経済にまで、影響が及びかねなかった。それはまた、石油産業再編の起爆剤にもなった。

”アジア経済の奇跡”

著名なビジネス著の『ボーダレス・ワールド』というタイトルは、世界経済のさまざまな部分をつなぎ合わせた1990年代のグローバリゼーションのプロセスに見られた楽観を、みごとに表している。世界経済そのものよりも速く成長していた。アジアはその先頭に立っていた。

”アジアの4頭の虎”と呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールのあとに”新虎”のマレーシア、インドネシア、タイ、フィリピンが続き、中国広東省経済特区も加わって、日本経済の偉大な成功をなぞっていた。

アジア経済の奇跡は、発展途上国の経済発展に新しい戦略の見本をもたらした。国内に目を向けて自給自足にはげみ、貿易障壁を高くするというのが、1950年代から60年代にかけての経済発展の原則だったが、”虎たち”は貿易とグローバルな経済を信奉した。見返りに、急増する収入と驚異的な急成長を得た。シンガポールは、1965年に独立したときには、周辺諸国に包囲された都市国家だった。1989年には、購買力平価に基づく国民一人当たりのGDPが、200年早く工業国としてのスタートを切った産業革命発祥の地イギリスよりも高くなった。アジアはサプライチェーンの基盤になり、その範囲は原材料だけではなく、部品や最終製品にもひろがった。世界はたしかに、10年前には想像もできなかったような形で結びついた。
アジアの高成長は、エネルギー、ことに石油の需要の高まりをもたらした。そうした国々が、石油の成長市場になった。それに、アジア経済が熟した状態で成長しつづけると考えられる理由には、事欠かなかった。

傍観者――シェル

1998年から2002年にかけて起きたことは、1911年以来の国際的石油会社の構造を大幅に造り替えた。合併した会社はそれから何年も、統合による混乱やストレスにさらされた。その後は、規模が大きくなっただけではなく、効率が大幅に改善され、徹底してグローバル化し、それまでよりも大がかりで複雑なプロジェクトをもっと数多く実行する能力を持つようになった。
シェブロンのデービット・オライリーCEOは、産業構造に起きた地震ともいうべきこの(石油メジャーの)合併を10年後にふりかえり、つぎのように述べている。「ほとんどが予測していたとおりになった。そうならなかったのは、国有石油会社に関わる問題だ。規模が大きくなった会社が、国有石油会社と競合できるかということだ」
世界経済の小さな一角――過度の借り入れで投資していたバンコクの民間不動産市場――が揺れ動きはじめたとき、過大評価されていたタイの通貨パーツが投機的な動きによって急落した。それがアジアとひいては世界的な金融危機の引き金になるとは、だれも予想していなかった。もとより、世界の石油メジャーの経営陣も、たいして存在感のないこの東南アジアの通貨が、原油価格の急落を引き起こし、石油産業の大々的な再編を招くとは、思っていなかった。だが、それだけではすまなかった。その影響は、多数の国とその国内経済を変容させることになったからだ。世界でももっとも重要な産油国数ヵ国も、それに巻き込まれた。