じじぃの「歴史・思想_330_ユダヤ人の歴史・高利貸しの論理」

Jews and Money - A documentary by Lewis Cohen - Official Trailer

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LrYTxzmr5lw


This shocking exhibit reexamines age-old anti-Semitic trope of Jews and Money

22 March 2019 The Times of Israel
LONDON ー If there were ever two words that sound toxic when put together, they would be “Jews” and “money.” But add the word “myth” into the mix, and you’ve got the daring exhibition. “Jews, Money, Myth” opened March 19 at London’s Jewish Museum and examines the tortured and tangled relationship between the words.
https://www.timesofisrael.com/this-shocking-exhibit-reexamines-age-old-anti-semitic-trope-of-jews-and-money/

ユダヤ人の歴史〈上巻〉』

ポール ジョンソン/著、石田友雄/監修、阿川尚之/訳 徳間書店 1999年発行

高利貸しの論理 より

最も大きな問題の1つは高利貸し、もっと正確に言えば利子をともなう貸し付けであった。ユダヤ人が生み出したこの問題は、自分たちにとっての問題であるとともに、ユダヤ教から派生した2つの大宗教にとっての問題でもあった。古代中東における最古の諸宗教の体系ならびにそこから生まれた世俗の法典は、高利貸しを禁じなかった。これらの社会は無生物の物質を植物、動物、人間と同様に自己生産可能な生き物のようにみなした。したがって「植物貨幣」、あるいはいかなる種類であれ金銭的価値をもつ物質を貸す場合、それに利子を課すのは正当なことであった。
オリーブ、なつめやし、種子、あるいは動物といった形をとる食物貨幣は、紀元前5000年頃にはすでに貸し付けられていた。楔形(くさびがた)文字文書は、為替(かわせ)という形で特定額の貸し付けを行なうことが、少なくともハンムラビ王の時代には知られていたことを示している。貸し主は通常、神殿および王の高官たちであった。バビロニア楔形文字文書の記録の示すところによると、利率は銀に対して10-25パーセント、穀物に対して20-35パーセントであった。メソポタミアの諸民族、ヒッタイト人、フェニキア人、エジプト人の間では利子は合法的であり、しばしば国家によって決定された。
しかしユダヤ人は別の考え方をした。出エジプト記22章24節に次のように定められている。「もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない」。これは明らかに非常に古いテキストである。もしユダヤの法がもっと発達した王国時代に制定されたなら、利子が禁じられることはなかったであろう。しかしトーラーはトーラーであり、永久に効力をもつ。出エジプト記のテキストは、レビ記25章36節「あなたはその人[同胞]から利子も利息も取ってはならない」によって補強され、申命記23章21節ではよりいっそう端的に「外国人には利子を付けて貸してもよいが、同胞には利子を付けて貸してはならない」と記されている。
このようにユダヤ人は、自分たちの間では利子付きで金を貸すことを禁じ、同胞以外の人たちにたいしてはそれを許すという宗教法に縛られていた。この規定の意図したところは、集団として生き残るために貧しい共同体を保護し、ともに維持していくことであったと考えられる。金を貸すことは博愛主義とみなされたが、見知らぬ人間や気にかける必要のない人々に対しては、慈悲を施す義務はなかった。つまり利子とは、敵意の同義語だったのである。
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しかしながら、法がより厳格かつ強化され守られるようになればなるほど、ユダヤ人と周辺世界との関係は一層悪化した。なぜなら、異邦人世界の中でユダヤ人共同体は小集団として散在していた状況においては、この法はユダヤ人が非ユダヤ人に対して金貸しになることを許しただけでなく、ある意味ではそうなることを積極的に奨励することになったからである。この危険性を認め、それと闘ったユダヤ人の賢者たちがいたのは確かである。フィロは古い法典が同胞と非同胞とを区別した理由を完璧に理解していたが、高利貸しの禁止は宗教とは関係なく、同じ国家の市民すべてに適用されると論じた。ある規定によると、無利子の賃貸は、ユダヤ人に優先権があるとはいうものの、できることなら非ユダヤ人に対しても同様になされるべきであるという。別の規定は、外国人から利子を取らない者は称賛に値すると述べる。さらに別の規定は外国人に利子を課すことを認めず、ほかに生きる方法がないユダヤ人の場合のみ高利貸しは合法であるという。
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これ(高利貸しを正当化すること)はあらゆる議論の中で最も危険なものであった。なぜなら、ユダヤ人に対する経済的な圧迫は、彼らが最も嫌われている場所で起こるという傾向があり、ユダヤ人が非ユダヤ人に対して利子を伴う貸し付けを行なうことのよってそれに対応すれば、ますます嫌われ、当然抑圧も増すという結果になったからである。こうしたユダヤ人は悪循環に陥っていった。
キリスト教徒は聖書の規定に基づいて、利子を取ることを絶対に認めなかった。そして1179年以降は違反者は破門されるようになった。しかしキリスト教徒は同時に、ユダヤ人を経済的に厳しく圧迫した。キリスト教の法律が事実上彼らを差別する土地では、ユダヤ人はこの商売に従事することによって対抗し、やがて金貸しという憎むべき商いと同一視されるようになる。

15世紀後半のフランスとイタリアの事情に通じていたラビ・ヨセフ・コロンは、両国ではほかの職業に就いているユダヤ人はほとんどいなかったと記している。