じじぃの「歴史・思想_305_ベラルーシ・ルカシェンコ大統領」

選挙は不正だった!?ベラルーシで26年間君臨する「欧州最後の独裁者」が窮地 プーチン大統領の影も…(2020年8月28日)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HoE69uI2Hjk

見てわかるベラルーシ問題 「欧州最後の独裁者」窮地

2020/9/4 日本経済新聞
旧ソ連ベラルーシで大規模な反政権デモが続いています。
「欧州最後の独裁者」と呼ばれる現職のルカシェンコ氏が6選を決めた大統領選への抗議が発生し、米欧諸国もデモへの弾圧を巡り同氏を強く非難しています。
ベラルーシで何が起きているのかをイラストで解説します。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63136010X20C20A8I00000/

ベラルーシを知るための50章』

服部倫卓、越野剛/編著 明石書店 2017年発行

アレクサンドル・ルカシェンコの肖像――「欧州最後の独裁者」と呼ばれて より

アレクサンドル・ルカシェンコ大統領は、1994年に行なわれたソ連解体後の初のベラルーシ大統領選挙により、39歳の若さで初代大統領に選出された。それから23年、ルカシェンコ大統領は欧米諸国からの民主化要求をはねつけ、政権を維持している。野党勢力が国民の支持を得られず、政権交代の受け皿になる可能性が低い中で、独裁体制を一段と強化している。国内に敵はなく、「ベラルーシ政治における唯一のプレーヤー」と認識されている。
ルカシェンコ大統領が政治の表舞台に立ったのは、1990年のベラルーシ共和国最高会議選挙に当選してからである。他のCIS諸国の元首は、ソ連時代にも政府の要職に就いていたものが多いが、ルカシェンコ大統領は1990年まで地方のモギリョフ州のソフホーズ(国営農業)の所長を務めていた。共産党の活動家ではあったが、モギリョフ州のコルホーズ(集団農場)の党委員会書記を務めたくらいで、中央政界とは無縁の変わり種である。
議会の汚職追放委員会議長を務めていたルカシェンコは、1994年7月の大統領選で、汚職追放、国家主導の経済改革、ロシアとの統合など大衆迎合的な公約を掲げ、本命と言われたケビッチ首相(当時)を破って当選した。それ以降、大統領権限の強化、反対派への排除を通じて、強権体制を造り上げた。2015年には83%という圧倒的な得票で、5回目の当選を果たした。さらに5年の任期を務めることになり、四半世紀以上にわたって長期政権が続くことになる。皮肉にもベラルーシ国民が最初の民主的選挙で選んだ大統領は、「欧州最後の独裁者」と欧米から呼ばれている。
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ルカシェンコ大統領はアイスホッケーを趣味とし、プロ選手と練習試合を行う姿がテレビ・新聞等で報道される。時折行なわれるスポーツ大会にも積極的に参加し、ほとんどの場合優勝して力強い大統領のイメージをアピールしている。2014年には世界アイスホッケー選手権をベラルーシで開催してしまうほどの熱の入れようである。
ルカシェンコ大統領は、ベラルーシは富める者、オリガルヒ(旧ソ連系の国家の新興財閥)のいない国家、平等国家であると、国民を信じさせることに成功した。その一方で、大統領こそがベラルーシ唯一のオリガルヒとして、金と富を吸い上げている。石油精製ビジネスの収益だけでなく、大統領基金や国民発展基金など予算外の資金が存在し、ベラルーシの兵器販売や大統領府が独占する商業分野、政府庁舎の家賃収入などが流れ込んでいるといわれる。それを大統領とその周辺にいる一握りの人間たちが独占し、大統領を頂点とする富のピラミッド構造ができあがっている。
ルカシェンコは、民族的には純粋なベラルーシ人というわけではない。父親がロマ(ジプシー)系であるとか、母親がウクライナ系であるといった情報も伝えられているが、詳細は不明である。いずれにしても、ルカシェンコはベラルーシの民族的ルーツが多様であることを強調し、エスニックなベラルーシナショナリズムとは距離を置いている。年次教書や式典での演説などの国家行事ではロシア語を話しており、ベラルーシ語を話すことはめったにない(ただし、そのロシア語には強いベラルーシ訛りがある)。