じじぃの「歴史・思想_280_ハラリ・21 Lessons・SF」

インサイド・ヘッド』映画オリジナル最新予告編

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0Pnk_r183tc

インサイド・ヘッド ディズニー

監督:ピート・ドクター
キャスト
ヨロコビ:エイミー・ポーラー竹内結子
カナシミ:フィリス・スミス(大竹しのぶ
●ストーリー
ライリーは、笑顔が素敵な活発な11才の女の子。彼女の頭の中には5つの感情が存在する。ライリーを楽しい気持ちにすることが役割のヨロコビ、嫌いなものを拒絶する役割のムカムカ、腹が立った時に怒りを爆発させる役割のイカリ、危険からライリーを守る役割のビビリ。でもライリーを悲しませてしまうことしかできないカナシミの役割だけは謎に包まれている…。そんな感情たちは、頭の中の司令部で、ライリーを幸せにするため日々奮闘していた。
ある日ライリーは、住み慣れた大好きなミネソタを離れ、見知らぬ街サンフランシスコで暮らし始める。不安定になった彼女の心は、感情たちに思わぬ大事件を起こす。転校先の教室で自己紹介をしているその時、カナシミがミネソタでの楽しかった≪思い出ボール≫に触れてしまい、ライリーは泣きじゃくってしまう。自身でもワケがわからぬカナシミの無意識にボールに触れてしまう衝動により、ついにヨロコビとカナシミは司令部の外に放り出されてしまう!
2つの感情を無くしてしまったため、頭の中の世界は異変の兆しを見せ始め、2人は巨大迷路のような≪思い出保管場所≫に迷い込み、ヨロコビ不在の司令部も大混乱となる。その頃ヨロコビとカナシミは自分たちも今まで見たことが無かった驚きと色彩に満ちた世界で大冒険を繰り広げていた。
―司令部を目指してライリーを再び笑顔にするために!
https://www.disney.co.jp/movie/head/about.html

『21 Lessons』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行

18 SF――未来は映画で目にするものとは違う より

人間が世界を支配しているのは、他のどんな動物よりもうまく協力できるからであり、人間がこれほどうまく協力できるのは、虚構を信じているからだ。したがって、詩人や画家や劇作家は、少なくとも兵士や技術者と同じぐら重要だ。人々が戦争を起こしたり大聖堂を建てたりするのは、神を信じているからであり、神を信じているのは、神についての詩を読んだり、神が描かれた絵を見たり、神についての演劇に魅了されたりしたことがあるからだ。同様に、資本主義という現代の神話に対する私たちの信仰は、ハリウッドやポップス業界の芸術的創作物を基盤としている。もっと多くの者を買えば幸せになれると信じているのは、資本主義の楽園がテレビに映し出されるのを私たちが我が目で見たからだ。
21世紀初頭における最も重要な芸術のジャンルは、SFかもしれない。機械学習遺伝子工学の分野の最新の論文を読む人は本当に少ない。だが、『マトリックス』や『her/世界でひとつの彼女』のような映画や、「ウエストワールド」や「ブラック・ミラー」のようなテレビシリーズは、現代におけるテクノロジーや社会や経済の最も重要な進展を人々がどう理解するかを決める。これは、科学的事実をどう描くかにSFがもっとずっと多くの責任を負う必要があることも意味する。今のままでは、人々に誤った考えを吹き込んだり、人々の注意を間違った問題に向けさせたりしかねない。
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真に驚くべきなのは、ディズニーがこれほど過激なメッセージを伝える映画を市場に出したおとだけではなく、それが全世界でヒットしたことでもある。『インサイド・ヘッド』がここまで成功したのは、この映画がハッピーエンドのコメディであり、おそらくほとんどの観客が神経学的な意味合いとその不気味な含みの両方を見落としたからだろう。
20世紀の最も予言的なSF書には、これは当てはまらない。読者はその不気味な性質を見逃しようがない。書かれたのは1世紀近く前だが、年を経るごとに現実味が増している。オルダス・ハクスリーが『すばらしい新世界』(大森望訳、ハヤカワepi文庫、2017年、他)を書いたのは1931年で、共産主義ファシズムがロシアとイタリアに根を張り、ナチズムがドイツで台頭し、軍国主義の日本が中国での征服戦争に乗り出し、全世界が大恐慌に見舞われていた頃だ。それにもかかわらず、ハクスリーはこうした暗雲のいっさいを見透かし、戦争も飢饉も疫病もなく、途切れない平和と繁栄と健康を享受する未来社会を想像した。それは大量消費の世界であり、セックスも麻薬もロックンロールもやりたい放題で、最も大切なのは幸福だった。人間は生化学的なアルゴリズムであり、科学は人間のアルゴリズムをハッキングでき、それからテクノロジーを使えば操作できるというのが、この本の基板を成す前提だ。
このすばらしい新世界では、世界政府が先進的なバイオテクノロジーとソーシャル・エンジンを使い、誰もがつねに満足し、誰一人反攻する理由を持たないようにしている。ライリー・アンダーソン(『インサイド・ヘッド』の中の11歳の少女)の脳の中のヨロコビやカナシミらのキャラクターが、忠実な政府職員になったかのようなものだ。したがって、秘密警察も、強制労働収容所も、ジョージ・オーウェルの『1984年』風の愛情省も必要ない。実際、ハクスリーの非凡さは、恐れと暴力ではなく愛と快感を通してのほうが、人をはるかに確実に制御できることを示した点にある。
1984年』を読むと、オーウェルがぞっとするような悪夢の世界を描いていることがはっきりわかるので、残された質問は、「そのような恐ろしい状況に行き着くのを避けるにはどうしたらいいか?」だけだ。だが『すばらしい新世界』は、読み手をはりかにまごつかせ、考え込ませる経験を提供する。なぜなら、それがいったいどうしてディストピアなのかをはっきり指摘するのが難しいからだ。その世界は平和で繁栄しており、誰もがいつもこの上なく満足している。そのどこが悪いというのか?
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マトリックス』や『トゥルーマン・ショー』の製作者たちとは違い、ハクスリーは脱出の可能性はないのではないかと思っていた。なぜなら、脱出する人など存在するかどうか、疑っていたからだ。脳も「自己」もマトリックスの一部なので、マトリックスから逃げ出すには、自分自身から逃げ出さなければならない。とはいえ、その可能性が本当にあるかどうかは探究に値する。自己の狭い定義を脱することが、21世紀における必須のサバイバルスキルとなってもおかしくない。