じじぃの「長岡半太郎の錬金術・水銀から金への変換に成功?どんでん返しの科学史」

水銀から金をつくる「原子炉錬金術」を実証する!

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?time_continue=99&v=Ri_hvhWmpdE&feature=emb_title

Production of Gold in electric arcs reported from 1924-26

Lattice Energy LLC- LENR Transmutation Networks can Produce Gold-May 19 2012

Commercializing a next-generation source of valuable stable elements
May 19, 2012 Copyright 2012, Lattice Energy LLC All Rights Reserve d 31
●Production of Gold in electric arcs reported from 1924-26
Electric discharge with Hg in transformer oil: Nagaoka (Japan)
□Unlike, the comparatively unknown Wendt & Irion team at Univ.
of Chicago, Nagaoka was a world-renowned physicist and one of the most preeminent scientists in Japan when he began his high-current discharge transmutation experiments in September 1924
For a sense of Hantaro’s high scientific stature, please see:
http://en.wikipedia.org/wiki/Hantaro_Nagaoka
□Nagaoka was contemporary competitor of Ernest Rutherford;
Hantaro’s “Saturn model” of the atom was only competing model cited by Rutherford in his seminal 1911 paper on atomic nuclei
□Given the very international character of science even at that time, it is reasonable to presume that Prof. Nagaoka was aware of worldwide controversy swirling around Wendt & Irion’s exploding wire experiments and of Rutherford's short but extremely devastating critical attack on them that was published in Nature
□Very likely that Hantaro was well-aware of Robert Millikan’s very favorable opinions on subject of triggering transmutations with electric arcs (BTW Millikan had just won a Nobel prize in physics)
□Nagaoka also probably knew about Miethe & Stammreich’s work in Germany; they claimed to have changed Mercury into Gold in a high-voltage Mercury vapor lamp, “The reported transmutation of Mercury into Gold,” Nature 114 pp.
https://www.slideshare.net/lewisglarsen/lattice-energy-llc-lenr-transmutation-networks-can-produce-goldmay-19-2012

『〈どんでん返し〉の科学史 - 蘇る錬金術、天動説、自然発生説』

小山慶太/著 中公新書 2018年発行

長岡半太郎錬金術 より

原子核放射線の研究が発展を遂げつつあった1924年大正13年)、理化学研究所長岡半太郎が水銀を金に変換する実験に成功したと発表した。元素変換という広義の意味ではなく、文字どおりの錬金術が実現か? と受け取られかねない内容であった。
その舞台となった理化学研究所は1917年、産業の振興をはかるため、物理学と化学の基礎研究と応用研究を逐行する目的で設立された、半官半民の研究機関である。このとき、物理部長に就いたのが東京帝国大学教授をつとめる長岡であった。
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当時、元素のスペクトルの微細な構造について研究していた長岡は、水銀のスペクトルが金のそれとよく似ていることに気がつき、1925年、「水銀の金への変換に関する予備的な研究」と題する論文をイギリスの『ネイチャー』に発表した(画像参照)。
金の原子番号は79、水銀はひとつ大きい80である。そこで、長岡はスペクトルがよく似ているのは、原子番号が隣接する両者の核の構造に共通するところがあるからではないかと予想した。具体的にいうと、金の核に陽子が1個、弱く結合したのが水銀の核ではないかというのである。そうだとすれば、強い電場をかけるなどして水銀に衝撃を与え、弱く結合している余分の陽子を引きはがせば、金が得られることになる。以上が長岡の錬金術の原理である。
しかし、核に注目したとしても、これはどだい無理な話であった。そもそも、当時はまだ、中性子は発見されておらず、核の構成メンバーが出そろってはいなかった。また、核の中で働く力についても、まったくわかってはいなかった。陽子どうしの電気的な反発力を抑え、陽子と中性子を核内でかたく結合させている核力の理論が湯川秀樹によって提唱されるのは、1935年のことである。
したがって、スペクトルの類似性から長岡が立てた水銀の核モデルが間違っていただけでなく、核反応を人工的に引き起こすには長岡が試みた実験のエネルギーレベルでは、とうてい足りなかった。その点に関していえば、化学的な処理で金が作られると信じていた昔の錬金術師と同じ過ちを起こしたことになる。
理化学研究所の設立目的に産業の振興、つまり、基礎科学の研究を応用、実用化することがあった。そういう趣旨を考えると、元素のスペクトル分析にもとづいて水銀を金に変える方法が発見されれば、まさしくそれは理研の存在を世界に知らしめる大ヒットとなったであろう。日本物理学界の重鎮はそうした思いに駆られ、時期尚早の勇み足を犯してしまったのではないかと思う。
なお、湯川が中間子論によって核力のメカニズムを解明した業績でノーベル物理学賞に輝くのは1949年であるが、早くも1940年、長岡は湯川をノーベル賞候補に推薦している。
果たしてこのとき、長岡はかつて行った水銀を金に変える実験について何を思ったであろうか。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「したがって、スペクトルの類似性から長岡が立てた水銀の核モデルが間違っていただけでなく、核反応を人工的に引き起こすには長岡が試みた実験のエネルギーレベルでは、とうてい足りなかった。その点に関していえば、化学的な処理で金が作られると信じていた昔の錬金術師と同じ過ちを起こしたことになる」
現代では原子物理学の進展により元素周期表上の水銀から金、鉛から金を生成することは理論的には不可能でなくなっている。
水銀(Hg:原子番号80)から金(Au原子番号79)に変えるには水銀の電子を1個減らすだけである。
鉛(Pb:原子番号82)から金に変えるには鉛の電子を3個減らすだけである。
お暇とお金のある方は試してみてはどうだろうか。