じじぃの「歴史・思想_202_人類と病・マラリアの流行とキニーネ」

Herbs And Empires: A Brief History Of Malaria Drugs | SKUNK BEAR

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IrNL27eWKOI

The Life Cycle of the Malaria Parasite

楽天ブックス:人類と病 - 国際政治から見る感染症と健康格差 (中公新書 2590)

詫摩佳代(著)
【目次】
第1章 2度の世界大戦と感染症 025
1 第一次世界大戦感染症 026
  塹壕での生活
  マラリアの流行とキニーネの限界
  アメリカの参戦とスペイン風邪
  強大化したインフルエンザ
https://books.rakuten.co.jp/rb/16258112/

『人類と病』

詫摩佳代/著 中公新書 2020年発行

2度の世界大戦と感染症 より

塹壕での生活

1914年夏、ドイツ、オーストリアを中心とする同盟国と英仏露3国を中心とする協商国との間に第一次世界大戦が勃発した。
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塹壕での生活を余儀なくされた兵士たちの間には、塹壕足と呼ばれる、凍傷と水虫の複合した症状もよく見られた。塹壕足になると、患部が壊疽(えそ)を引き起こし、最悪の場合、患部を切断せねばならなかった。このほか、実際の戦闘では、砲弾によって受けた傷口から細菌が入り込むことによって引き起こされるガス壊疽(筋肉の感染症で患部からガスが発生する)と破傷風破傷風菌が産生する神経毒素により強直性痙攣を引き起こす感染症)も問題となっていた。

マラリアの流行とキニーネの限界

大戦中はマラリアも猛威を振るった。マラリアとは寄生虫プラスモディウムを有する蚊が人を刺すことによって、人から人へと感染する。感染すると高熱を出し、インフルエンザのような症状を呈する。現在でも、中央アフリカやアジア、中南米を中心とする熱帯地域で感染が続いている。
マラリアはもともと、アフリカの風土病であり、19世紀以降のヨーロッパ諸国による植民地開拓・支配の過程で、大きな懸念材料となった。たとえば1895年に発足したイギリスの第三次ソールズベリー内閣で植民地大臣を務めたジョセフ・チェンバレンは、マラリアに感染している現地人からヨーロッパ人を隔離することが得策だと考え、あらゆる新設建物を現地人居住域から隔離するように植民地の総督たちに指示した。科学ジャーナリストのソニア・シャーによれば、このような方針に基づき、たとえばイギリスの植民地であったシエラレオネフリータウンでは、高地にヨーロッパ人専用の飛び領地が建設され、現地人の立ち入りが固く禁止されたという。
第一次世界大戦中、マラリアバルカン半島を中心に猛威を振るった。バルカン半島ブルガリアからギリシャに向かって流れるストゥルマ川の流域には、マラリアの原虫が生息していた。1915年、フランスの指揮の下、イギリス、フランス、イタリアの60万人の部隊がセルビア軍を援護する目的でストゥルマの谷を下り、湿地に幕舎を設営した。幕舎の各テントの中にはおびただしい数の蚊がいたといい、1915年以降、各陣営では、マラリアによる死者が急増した。シャーによれは、1917年には、ギリシャのサロニカの病院にマラリアの患者兵士6万人以上が収容され、英仏の軍は麻痺状態に陥ったという。
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マラリアの感染メカニズムが明らかにされたのは、前章で見たペストやコレラと同じく、19世紀末であった。1880年には寄生虫プラスモディウムが発見され、またキナの木の樹皮(キニーネ)は発病を防いだり、軽減する効果があることもわかっていた。キニーネと呼ばれるこの抗マラリア治療薬は、マラリア原虫のライフサイクルを遮断し、その増殖を防ぐ働きをする。
しかし、そもそもキナの木が希少であることからキニーネの入手は容易ではなく、不快な副作用があることも問題視されていた。副作用はキニーネ中毒と呼ばれ、耳鳴り、聾(ろう)、吐け気、視力障害のほか、稀に白血球の劇的な減少、腎不全などを引き起こし、死に至ることもあった。第一次世界大戦中には予備用のキニーネが存在したにもかかわらず、以上のような副作用のため、兵士たちが処方通りにキニーネを服用しないことがあまりにも多く、感染を広げることとなったという。