じじぃの「科学・芸術_725_世界の文書・ジョージ・オーウェル『1984年』」

George Orwell’s manuscript for 1984

1984 First edition cover

『図説 世界を変えた100の文書(ドキュメント):易経からウィキリークスまで』 スコット・クリスチャンソン/著、松田和也/訳 創元社 2018年発行
ジョージ・オーウェル1984年』 (1946 - 49年) より
とある決然たる著述家――病弱で、貧窮し、悪霊に取り憑かれていた――が辺鄙なスコットランドの農家で、全体主義国家の生活を描いた荒涼たるディストピア小説を書上げんと苦闘していた。「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」と彼は警告する。その未来は既に到来した。
エリック・ブレア(1903-50)は英国のエッセイスト・ジャーナリスト・批評家・小説家で、社会意識の盛り込まれた明晰な文章を書く際にはジョージ・オーウェルの筆名を用いた。ビルマで帝国の警察官を務め、またスペイン内乱ではファシズムと戦うも、慢性の肺病のために第2次世界大戦では軍隊に入れなかった。だが文筆活動は継続しており、1845年に反スターリン主義の寓話小説『動物農場』を書いた。
だがドイツのロケット爆弾で家を失い、その後、定期的な医療を受けている最中に妻も失って、オーウェルの人生は暗転した。生きるため、そして息子を育てるため、彼は新たな小説に着手した。彼はそれを『ヨーロッパ最後の男』と仮称していた。友人の1人が、スコットランドのインナー・ヘブリデス諸島のジェラ島の岩だらけの突端にある空き家を貸してくれ、そこで彼は作品を完成させた。結核に罹患しながらも、オーウェルは病や締切の重圧と戦い、使い古されたレミントンの携帯用タイプライターで文字を叩きつけた。「この血塗れの木の最後のところで苦しんでいるところだ。[それはー引用者注]もしも核戦争が全てを終わらせなければ、どういう事態になるかを描いたものだ」とオーウェルは友人に書き送っている。1948年11月30日にそれは完成した。
「4月の晴れた寒い日だった。時計が13時を打っている」とその小説は始まる。「階段の踊り場では、エレベーターの向かいの壁から巨大な顔のポスターが見詰めている。こちらがどう動いてもずっと眼が追いかけてくるように描かれた絵のひとつだった。絵の下には、『ビッグ・ブラザーがあなたを見ている』というキャプションが付いていた」。
オーウェルの小説は1949年6月に出版され、直ぐさま傑作と賞賛されたが、それを完成させるために彼は多大な犠牲を払っていた。1950年1月21日、オーウェル結核で死んだ。やがて彼の冷え冷えとした未来のヴィジョンは「20世紀における決定的な小説」と広く見做されるようになった。65を越える言語に訳され、売り上げは数百万部に達し、ポストモダンディスクールに多きの預言的概念を導入した。「戦争は平和である。自由は隷属である。無知は力である」。
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1984年に出版された『1984年』の複写版は、刊行された最終版とオーウェルの熱狂的な原稿を並べて収録している。この小説の現存する原稿はブラウン大学図書館に所蔵されている。オーウェルの示唆的な標題にはひとつの謎が残されている。最後の2つの数字をひっくり返すと、同書を書き上げる迄の拷問のような年を表しているのか――まさに現在に根差す恐るべき未来を?