じじぃの「歴史・思想_89_世界史を変えた指導者・ウィンストン・チャーチル」

Churchill and The Cabinet War Rooms - Sir Winston Churchill's secrets unveiled

動画 YouTube
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Winston Churchill

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

ナチの脅威に対してイギリスと世界を団結させた伝説の戦時指導者 より

ウィンストン・チャーチルは第2次世界大戦中のもっとも苦しい時期にイギリス国民と全世界を勇気つけ、敗戦の瀬戸際からナチ・ドイツに対する勝利へと導いた、不屈の首相である。

1940年6月4日、ナチによるイギリス新興の脅威に対抗して、ウィンストン・チャーチルは下院で胸を打つ演説を行なった。「われわれは海岸で戦い、上陸地で戦う。(中略)われわれはけっして屈服しない」。人々を鼓舞する弁舌の才、慎重な国の舵をとり、そしてアメリカとの同盟関係構築に力をつくしたことによって、チャーチルは1945年の勝利をもたらした。
6月4日の演説を行なったのは、首相に就任してわずか1ヵ月たらずのことだった。言葉に寄って人々を奮起させるリーダーシップ力を凝縮したような不朽の名演説をチャーチルは3回行っているが、これはそのひとつである。最初は間近かに迫っていると思われた、ナチス侵攻の脅威、その後はロンドン大空襲(ザ・ブリッツ。1940年9月から1941年5月にかけてロンドンをはじめとするイギリス諸都市に対して行われた、ナチの戦略的な爆撃作戦)に直面して追いつめられたイギリス国民に、彼は反撃と戦いの継続をよびかけた。
2週間後の1940年6月18日、チャーチルは下院とイギリス国民にラジオ放送で「バトル・オヴ・ブリテンがこれからはじまる」と宣言した。ナチの指導者アドルフ・ヒトラーは戦争に勝つにはイギリスを征服しなければならないとわかっている、とチャーチルは述べた。イギリスがヒトラーに立ち向かえばヨーロッパを救うことができる。演説の最後に、チャーチルは力強く迫った。「だからわれわれのなすべきつとめに向けて気を引きしめよう。かりに大英帝国イギリス連邦が千年続いたとしても、『イギリスの最高の時代はあのときだった』と人々に言わしめる行動をとろうではないか」。チャーチルの3つめの名演説は1940年8月20日、イギリス空軍の戦闘機と爆撃機パイロットたちを、彼らの活躍で戦争の潮目が変わったとして感動的な賛辞を贈ったものだった。「人類の戦争の歴史において、これほどわずかな人々にこれほど多くの人々が救われたことはかつてなかった」
1940年にチャーチルが首相の座にあったのは、適材適所といえた。彼の資質は、絶体絶命の状況に置かれていたイギリスの国民が必要としていたものにほかならなかった。愛国心が強くエネルギーにあふれたチャーチルは、コミュニケーションの才能に恵まれた手練れの文章家だった。歴史に造詣が深く、イギリスの立場と歴史的な重要性についてはばかることなく発言した。サンドハースト王立陸軍士官学校で訓練を受けた彼は第1次世界大戦に従軍し、政治家として経験も豊かだったばかりでなく、危機のときほどますます力を発揮するかに見える、動じない男だった。

全身全霊を捧げる より

1940年5月に首相に就任したチャーチルは、下院に対する演説でまたも名文句を発した。「大臣諸君に行ったのと同じことを議員の諸君にも言おう。わたしに提供できるのは血と労苦と涙と汗、それだけです」。そしてめざすのはただひとつ「どんな犠牲をはらっても勝こと――いかなる恐怖もものともせず――勝利への道がどれほど長く苦しいものであろうとも」。その目的を果たすために全力をあげ、全身全霊を捧げることを約束した。チャーチルは休むまもなく精力的に活動し、むりがたたって1943年に2度も重い肺炎をわずらった。