じじぃの「歴史・思想_30_合衆国史・ボストン茶会事件」

Boston Tea Party (Animated Historical Fiction)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mBrBPMp_ElY

Boston Tea Party

ボストン茶会事件

ウィキペディアWikipedia) より
ボストン茶会事件(英: Boston Tea Party)は、1773年12月16日に、マサチューセッツ植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンで、イギリス本国議会の植民地政策に憤慨した植民地人の急進派が港に停泊中の貨物輸送船に侵入し、イギリス東インド会社の船荷である紅茶箱を海に投棄した事件である。
アメリカ独立革命の象徴的事件の一つである。
●訳について
「Boston Tea Party」は一般に「ボストン茶会事件」と和訳される。ここでいうTea Partyとは歴史上の「出来事・事件」であって、当時のイギリス上流階級への風刺の含みはあっても、特定の「徒党」や「集団」をさす呼称ではないため、「ボストンティーパーティー事件」または「ボストン茶会事件」と意味される。
アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』によると、大量の茶葉で覆われた海を見た市民が「『ボストン茶会』を開いた」と冗談を言ったのがそのはじまりだという。

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『植民地から建国へ 19世紀初頭まで シリーズアメリカ合衆国史①』

和田光弘/著 岩波新書 2019年発行

革命と独立の意味 より

わが国で一般に「アメリカ独立革命」と呼称される歴史事象は、原語の英語で葉、その後のフランス革命ロシア革命と同じように「アメリカ革命(アメリカン・リボリューション)」と呼ばれる。だがこの語を、同時代の根本史料たる『大陸会議議事録』全34巻(1904ー37年)に探し出すべく、各巻末の索引に目を通すならば、第9巻の索引にたった1件のみ見出せる。そして当該のページを開くと、実際に記されているのは「アメリカの歳入」なる私掠船の船名。つまりこの唯一の例は、信じがたいことに誤植なのである。したがって『大陸会議議事録』の索引には、じつのところ「アメリカ革命」の語は採用されていない。
だが現在、同議事録のデジタル版がアメリカ議会図書館のウェブサイトに無償で公開されており、全文検索を実行すると、この語が議事録部分――注記部分ではなく――に登場するのはわずか数回にすぎず、しかもその初出はようやく1779年であることがわかる。つまり、「アメリカ革命」の語が、革命推進の中核機関たる大陸会議の議事録に初めて現われるのは、独立宣言から3年近くものちのことなのである。もっともそれ以前にも、この語はさまざまな場面で用いられていたであろうし、「革命」ではなく「アメリカ独立戦争」という淡白な表現を好んだイギリス英語とは異なり、アメリカ英語ではこの戦争は「革命戦争」であり、ワシントンらは「革命家」とも称されてきた。
だが一方、わが国の歴史書などで用いられる「独立革命」なる語も、この歴史事象の内容を適切に表現しているといってよい。そもそも革命の名が与えられたゆえんは、それまでの王制から離脱し、新たな体制たる共和制が採用されたことにあると考えられるが、その過程で、世界最古ともされる成文憲法が制定され、新たな独立国家が誕生したからである。フランス革命により成立した第1共和政はナポレオンの第1帝政へと変貌し、ロシア革命を契機に建国されたソヴィエト連邦の命脈は1世紀も保たれなかったが、独立革命の血の海のなかから出現したアメリカ合衆国は、今日まで連綿と続いている。それゆえアメリカ独立革命について知ることは、アメリカの今を知ることにつながっているのである。
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すでに「はじめて」で述べたが、再度強調するならば、アメリカ独立革命は1763年と83年の2つのパリ条約に挟まれたおよそ20年間の出来事といえる。

この20年間は、1773年末のボストン茶会事件を境に、前半の10年と後半の10年に分けてとらえることができ、さらにその後の合衆国憲法制定、批准に至る5年間も、新国家の制度設計の時期として独立革命に含めうる。

こうして1763年から88年まで、およそ10年/10年/5年の流れを経て、新共和国アメリカが誕生することになる。