じじぃの「科学・芸術_768_山本七平『一つの教訓・ユダヤの興亡』」

Are the Jews God's Chosen People Today?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=URL4utmBhyc

Jew & Greek

日本人は、名誉アーリア人であり、名誉白人ですか?

2018/9/13 Yahoo!知恵袋
回答
かつて世界で人種差別が横行していた時代には、欧米社会にて、有色人種でも日本人だけは特別、という意味で名誉白人とされました。
当然、人種差別が悪いことだ、という認識が定着している現代では「名誉白人」などという不名誉な呼称は存在しません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10196088030

『一つの教訓・ユダヤの興亡』

山本七平/著 講談社 1987年発行

「蔑視」と「羨望」のコンプレックス より

「成功は罪」か?
「『成功は罪』と規定されるからでしょう。この点では日本人とユダヤ人は同じような状態に置かれています」
ほぼ1年ぶりに来日された『天皇陛下の経済学』の著者ヘブライ大学のベン・アミ・シロニー教授と、最近の日本を取り巻く厳しい目、捕鯨問題、教科書問題、IC問題、東芝ココム問題等とつづく諸問題は見られる排日的傾向、さらにそれ以外のさまざまな摩擦等について話あったとき、氏はそういわれた。
「成功は罪」として断罪される。それは「ディアスポラ」(離散)の歴史に一貫して見られた現象であり、キリスト教期は前のローマでもパルテアでもすでに発生していた。このことは、それが決して竹山道雄氏が考えているような「新約聖書」の記述に基づくといった単純な問題ではないこと。またユダヤ人だけが陥る運命でもないことを示している。
ローマはユダヤ人に”特権”を与えた。だが、前述したように同じ権利を与えられた国や都市は決して少なくない。たとえばアテネなどは、たとえ征服されても、ローマと対等の同盟都市という特権をもっていた。それは当然とされる。だが、

ユダヤ人に与えられた場合はそれが、”破格の特権”と思われる。この位置はいわば「名誉白人」のような位置なのである。

人種差別が法制化されている国で、白人が白人の権利をもつことは当然であって、これは特権でも何でもない。しかし有色人種にそれが付与されれば”特権”と見なされるわけである。いうまでもないことだが、当然の権利を「特権」として与えることは、その与えられた者を「一級下」か「異質」と見なしていることである。従って「一級下」で「異質」の「名誉白人」が「成功」して「白人以上」になれば、それは「罪」と見なされて不思議ではない。
「成功は罪。なるほどねえ」
私は長い歴史の中で育まれたこの簡素な言葉の中に、ある文化圏の中に異質な文化を保持して生きる者が置かれた状態への、簡潔な定義があると思った。
ユダヤ人が”特権”を付与されても、ローマ帝国内のパレスチナの地に小さく貧しく生きていたなら問題はないし、たとえローマの各州に移住しても、都市の一隅で下層民として自らの生活の規範を守りつつひっそりと生きているなら問題にはならなかったであろう。事実、そういう状態の間は、多少問題があっても「大問題」へと発展はしなかった。
このことは戦後の日本という「短期間の歴史」についてもいえる。
     ・
そして最初の摩擦は、彼らに”特権”を与えたローマ人との間ではなく、同じ地区に住むギリシャ系住民との間で起った。
そしてギリシャ人にとって、ユダヤ人とはまことに不愉快極まる存在であった。というのはギリシャ人もユダヤ人も共に実質的にはローマ帝国支配下にあったとはいえ、ギリシャ人は、文化的には自分たちがローマ人の「師」であると考え、一方ローマ人もギリシャ人を文化的な先達と認め、その文化的な権威は当然のこととして受け入れていた。彼らはギリシャ語を学び、ギリシャ語で著作をし、プラトンアリストテレスを権威として尊崇しても、これを真向うから避難したり無視したりすることはあり得なかった。
だが、ギリシャ人の目から見れば蛮族にすぎないユダヤ人は、ローマ人さえ尊崇する権威を全く無視し、ときには批判し、また蔑視さえした。
ギリシャ人の側は、彼らが貧しく勢力なき時代は、「無知な輩(やから)」として傲然と無視していられたが、彼らが成功し有力になり、自分たちを凌駕したとなると、がまんのならない存在となってくる。
まことに「成功は罪」であり、この「罪」を糾弾するアンティ・セミティズム(反ユダヤ主義)がまずギリシャの中に生れ、ついにはローマ皇帝の権力によってこれを弾圧しようという形になってくる。
だがこれは、ユダヤが形式的にも独立国であり、その支配者が有能な政治家である間は、ある程度は防ぐことができた。簡単にいえばヘロデ王が王である限りは、表面化しなかった。