じじぃの「科学・芸術_767_優生思想・T4作戦」

ヒトラーの命令書 (Aktion-T4)

『わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想』

藤井克徳/著 合同出版 2018年発行

殺された障害のある人は20万人以上 より

「T4作戦」に基づいて、実際に障害のある人の殺害が始まったのは1940年1月でした。そして表向きには1941年8月24日に終了しています。作戦が中止されたのはナチスの判断ではなく、「T4作戦」の恐ろしさを知ったキリスト教会からの抗議によるものでした。
中止される直接のきっかけとなったのが、フォン・ガーレン司教による同年7月から8月上旬にかけての説教と、周到に準備した告発文書の配布でした。この抗議行動に、ナチスは手を焼き中止命令を出さざるを得なくなったのです。
司教の説教は次のようなものです。
 「非生産的な市民を殺してもいいとするならば、いま弱者として標的にされている精神病者だけでなく、非生産的な人、病人、傷病兵、仕事で体が不自由になった人すべて、老いて弱ったときの私たちすべてを殺すことが許されるだろう」(ETV特集「それはホロコーストの”リハーサル”だった ~障害者虐殺70年目の真実~」より)
ただし、すぐに事態が沈静化するほど甘くはありませんでした。ナチスの中止命令で停止したはずの「T4作戦」でしたが、実はこの後も障害者に対する凶行は継続されていました。
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大事なポイントは、断酒政策と「T4作戦」、そしてユダヤ人虐殺を関連づけてとらえることで、そこに共通する優生思想の害悪を認識することです。また、「T4作戦」で試されたことが、アウシュビッツなどの絶滅収容所でのユダヤ人虐殺に引き継がれています。
悲しいことですが、優生思想やが排外的な考え方は今も社会にはびこっています。これらとは、毎日毎日戦っていかなければなりません。その際に重要なことは過去と向き合うことです。過去のあやまちを克服する努力と同時に、過去から謙虚に学ぶことではないでしょうか。

「T4作戦」の恐ろしさ

「T4作戦」は恐ろしい」の一言に尽きます。人間はどこまで惨酷になれるのかということです。それは、「T4作戦の本質」にもつながるものです。
この恐ろしさは大きくみて、3つでとらえることができます。1つ目は、無抵抗の人が標的になったことです。犠牲者の大半は知的障害者精神障害者で、言い換えれば、物事を主張できない人、主張できにくい人に殺害が集中しました。近代にみる最大の「弱い者いじめ」と断じていいと思います。卑怯以外の何物でもありません。
2つ目は、「やっているのは私だけではない」と自身の行動を正当化しようとする態度です。殺害に関わった人の大半は、少なくとも最初の段階では、おかしいと思ったに違いありません。殺害に手を染めることにためらった人もいたはずです。しかし、ヒトラーの命令書と戦時下という異教な環境は、そうした気持ちを一気に萎(な)えさせてしまいました。
ナチズム(ヒトラーの世界観)の強要と圧政、それに人間の弱さの一面である群衆心理が重なりながら、「やっているのは私だけではない」という身勝手なささやきが忍び寄るのです。
3つ目は、無自覚や無感覚と言われる状態です。人間には、絶対に超えてはならない一線があります。その最たるものが人を殺(あや)めることであり、一線を超えたのが「T4作戦」でした。一線を超えた状態が長く続いたり、超えてはならない行為を大規模に繰り返しているとどうなるのでしょう。人間性の変質が始まります。つまり、人間らしい感性は壊れ、まともな判断力が失われてしまいます。それを、無自覚や無感覚の状態と言い、思考停止の状態とも言います。戦争はその典型です。
「T4作戦」に関与したスタッフも同じような状態に陥り、人間を人間と思えなくない、人を殺すことをなんとも感じなくなってしまったのです。
こうした状態が一定の期間続くと、簡単には止まりません。それどころかこの思想・感覚が増幅しながらの悪循環に陥り、伝染するように拡がりをみせるのです。思考停止のエスカレーション状態と言っていいのではないでしょうか。「T4作戦」は、野性化しながらこの道をたどることになりました。