じじぃの「大人の発達障害・本当に私は病気ですか?こころ学」

ゲートコントロールセオリー

単なる孤独な老人かぁ

『「精神障害」とはなんだろう? ──「てんかん」からそのルーツをたずねて』 石川憲彦/著 ジャパンマシニスト社 2018年発行
治療──なおる、治す、直りたい より
精神医学は、意識の消失をてんかんの本質だと考えてきました。テレビのたとえでいえば、意識の消失は画像がまったくみえなくなるということ。つまり、精神活動のいちばん中心が働かなくなることとみてきました。もちろん、神経学では意識が脳の中心ではありません。それは脳の一部の状態です。では、神経学的にみると、脳のどの部分が意識の動向と関連すると考えられているのでしょうか。古い神経学は、脳のある部分を電気刺激すると指が動く、別の部分を刺激すると痛みを感じる。そんなふうに脳の1つの場所と1つの神経細胞との1対1対応を調べること、つまり局在性から「意識とはなにか」をつきつめようとしました。
しかし、このやり方では残念ながらまだ全体をきれいに説明できる仮説は存在しません。以前はよく、「ゲートコントロールセオリー」という仮説が使われました。先ほどもふれましたが、人間の大脳は、いちばん外側の新皮質から中心に向かって古皮質・旧皮質系大脳辺縁系基底核などが隆起しあと丸まってキャベツの様な形になった地層になっています(図.画像参照)。このうち意識水準と非常に関係が深い場所だとされるのは旧皮質を中心とする部分です。
ここから下には視床視床下部や脳幹などがキャベツの芯のように並んでいます。
ここは、体中から集まった情報が脳の各所へ入る時も、脳からの命令が全身に伝わるときも、すべての中枢神経が必ず通過する場所です。ちょうど、体と脳のあいだのゲート(出入り口)とみなすこともできます。しかも、単なるゲートというだけではなく、神経の多くはここで脳内のいろんな神経に情報をバトンタッチしています。関所というか、靴を履き替える日本の玄関というか、非常に重要な場所です。
脳はこのゲートで入力を多くしたり少なくしたりして情報を調節しているのではないか。その調節具合によって意識が変化するのではないか。これが「ゲートコントロールセオリー」です。
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ところで、故障していないテレビを直す必要はありません。
もし、したほうがいいことがあるとするなら、妨害電波が発生しても電流がちゃんとキャッチできるようにすることくらいです。アンテナの位置を変えるとか、CATVを保護するとか。
さて、このテレビのたとえでおわかりのように、私はてんかんを病気とすることに違和感をもっています。病気とは考えていないといってよいでしょう。対処は必要なことがありますが、それをもって病気といえるのだろうか、ということなのです。したがって、私は抗てんかん薬の投薬に関しても慎重です。
今、てんかん治療は、薬の開発や外科的治療の進歩があるにも関わらず対症療法にとどまっています。「治療によって、てんかんが治る」という考え方は存在しません。症状としての発作を表面に現れないよう抑えることが、唯一の治療です。この点は40年間変わっていませんし、そのために薬が第1選択という点でも同じです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
昔、電車通勤していたとき車内で、急に大声で「ウオー」とか叫ぶ人がいた。
てんかん」は、突然意識を失って反応がなくなるなど発作を起こす病気だ。
私は、この年になって大人の発達障害を自称しているものだ。
「本当に私は病気なのだろうか?」
「故障していないテレビを直す必要はありません。もし、したほうがいいことがあるとするなら、妨害電波が発生しても電流がちゃんとキャッチできるようにすることくらいです。アンテナの位置を変えるとか、CATVを保護するとか」
てんかんが病気じゃないんだったら、私なんかは単なる孤独老人だなあ。