じじぃの「科学・芸術_550_ウズベキスタン・日本との関係」

ウズベキスタン親日国の理由・ウズベキスタン大統領が麻生太郎に語った日本人捕虜エピソード 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PMUFBB37gaU
ウズベキスタンの女性

奇跡体験!アンビリバボー 「異国の地で咲く桜に宿る日本人の心」 2017年4月20日 フジテレビ
●異国の地で咲く桜に宿る日本人の心
今から72年前の8月15日、第二次世界大戦で日本は無条件降伏。 戦闘機の整備部隊の隊長だった永田行夫は、200名あまりの部下と共に、ソ連軍の捕虜となった。 投降した日本兵ソ連各地に送り込み、強制労働させる。 シベリア抑留のはじまりだった。
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/170420_2.html
ウズベキスタンを知るための60章』 帯谷知可/編著 赤石書店 2018年発行
日本との経済関係 理解あるODA大国、日本 より
2015年10月、安倍晋三総理大臣が現役の首相として初めて、中央アジア5ヵ国すべてを公式訪問した。3ヵ国目となったウズベキスタンでは5ヵ国中最多の31の文書が署名され、その多くがODA、あるいは日本の公的機関との協力に関するものであった。首脳会談の冒頭ではカリモフ大統領(当時)が日本の経済支援に対する謝意を表明し、2国間声明にもODAに直接的に感謝する文言が盛り込まれた。同様の表現は、クルグズスタンとタジキスタンとの2国間声明には存在するが、カザフスタントルクメニスタンとのそれにはない。この事実は日本との経済関係のあり様の違いを物語っており、ビジネス主体に移行しつつある後者に対し、前者との間では依然として支援が基本的紐帯となっている。そしてその筆頭がウズベキスタンというわけである。
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外貨交換規制のみならず、国営企業による基幹産業支配や価格統制、貿易に関する制限など、ウズベキスタンにおいては国家の経済に対する管理・規制が強固に維持されている。これは同国が独立当初からIMF型の急進的市場化を否定、システム・ショックを避けてゆるやかな体制移行を目指す。「漸進改革」路線を堅持してきたためだ。市場経済そのものの否定とも解されるこの方針は、政権の権威主義的傾向とともに、西側の批判の対象となり、両者の間に深い溝をうがってきた。しかし、漸進主義こそ経済安定の要とするウズベキスタン側の確信は深く、現状では路線変更の可能性は極めて低いものと判断せざるを得ない。それは、同国の投資環境が抜本的に改善される可能性の低さとともに、西側とウズベキスタンの間に隠然と存在する対立構造解消の困難さをも意味する。根底にあるのは、民主主義、法の支配、市場経済といった所謂「普遍的価値」へのウズベキスタンのスタンスに対する、西側の不信感である。
注目すべきは、このように欧米との対立を擁する同国にとって、特別な位置を占めてきたのが日本であることだ。ウズベキスタンにとって日本は、一貫して「特別な西側」であり、いわば懸け橋としての期待と信頼を寄せる相手であったものと考えられる。実はその背景には、日本が欧米に比して非民主的政権運営に寛容であるという彼らの誤認があるわけであるが、一方で多額のODA実績が示すとおり、日本が同国に絶えず一定の理解を示し、積極的に支援してきたことはまぎれもない事実である。そこにあるのは、中央アジア地域大国として同国を重視し、同じアジアの先進国としてこれを支援しようとする日本の外交的視点であろう。
一方、日本からの支援取り付けに際し、高度技術を要する電力部門を狙うなど、他の中央アジア諸国等に比べ、ウズベキスタンの日本に対するアプローチは明らかに戦略的であり、良く練られたものだ。うがった表現をすれば、ウズベキスタンは理解あるODA大国、日本を戦略的に上手く利用しているわけである。そしてその路線に沿った発電所、空港・鉄道、灌漑設備等、インフラ整備分野の大型ODA案件が、日本企業にとってはウズベキスタンにおける希少なビジネスチャンスとなっている。