じじぃの「人の生きざま_777_エマニュエル・マクロン(フランス大統領)」

マクロン氏「私たちの惑星を再び偉大にしよう」 英語で演説 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DW2ixoP6nPk
マクロン フランス大統領

マクロン フランス新大統領夫人は25歳年上の略奪婚!?子供は高校時代の同級生ってマジ? 2017/5/9 スプートニック速報
変わり者の性癖であることは間違い無いwww
フランス大統領選で当選したエマニュエル・マクロン氏(39)若くてイケメンですよね。
この人が大統領って、フランスにどんな革新的なことが起きるか楽しみ〜!!
http://yo-da09.co/2017/05/09/macron-france-mrs-child-livingtogether/
エマニュエル・マクロン ―フランス大統領に上り詰めた完璧な青年』 アンヌ・フルダ/著、加藤かおり/訳 プレジデント社 2018年発行
書くことが最高の行為 より
自著『Revolution(革命)』の執筆にあたって彼が見せた、細心のこだわりと入れ込みようも特筆に値する。彼は言葉を一つひとつ天秤にかけて選びとり、カンマをどこに打つべきかで最後の最後まで議論した。内面の奥深くにまで下りていくような、祖母が望んだ存在に最大限近づこうとしているかのような作業ぶりで、彼は大統領選への出馬表明の直前までこの著作の最後の仕上げに打ち込んだ。
加えてエマニュエルは、妻ブリジットが「ほとんど病気」と語るほどの本好きだ。彼は「他人に本以外のものを贈ったことがなく、本屋にしか行かない人」で、ブリジットの孫娘にこういわれたことがある。
「ねえ、世の中にはおもちゃ屋さんだってあるんだよ!」
さらに彼は、ロプス誌のジェローム・ガルサン記者に、「私にとって書くことが最高の行為だ。書くことをいつも考えている。失った楽園を思うように」と”告白”している。彼は政治と文学のあいだに関係を築くことで、こうきっぱり断言できるようになった。
「私には書くことなしに、現実と現実を超越したもののあいだの関係を築くことはできない」
エマニュエル・マクロンがさまざまな選挙集会で、文学や哲学の著作から引用を繰り返し口にしていることも、彼の文人気質の表れだろう。
彼はスピノザの「悲しみの情熱」やバルザックの「人間喜劇」にしばしば言及するが、これはインターネット時代を生きる私たちに、文人哲人政治化としてのイメージを、つまり、ほかの政治家とは違うのだというイメージを植えつけようとするための力強いシグナルのようなものだ。
すべてはお祖母さんのため より
「つまり、すべてはお祖母さんのためということですか?」
私たちは10分ほど前からエマニュエル・マクロンの車の後部座席に座っていた。マクロンはマイエンヌ県の農場をじっくり視察したあと車に戻ってきたところだった。彼は農場にはそぶわないタウンシューズとズボンの裾についた泥をウェットティッシュで拭きとると、私の質問に一瞬驚いた表情をを浮かべ、窓の外に視線をさまよわせてつぶやいた。
「ええ、たぶん……、ええ、たぶん、すべて」
マクロンは自分が大統領を目指したのは祖母のため……選挙集会で何度も言及し、彼が大統領府(エリゼ宮)で働き出した直後に亡くなったあの祖母マネットのためだと認めた。
「祖母が生きていたら、彼女がいまのこの時期をどう過ごしていたかわからない。おそらく不安でいっぱいだっただろう」
だが、自分が特別な運命を背負っているという確信を彼に抱かせたのは、そもそもこの祖母ではなかったか? そう訊ねると彼は、甲高くなりがちないつもの声音ではなく、しんみりとした穏やかな口調で答えた。
「特別な運命を背負っているなどと祖母にいわれたことはない。だがおそらく祖母が、そんな運命をもてるように私を強くしてくれたのだ。彼女はとても厳しい人で、私を無条件に愛してくれた。これは人生でなかなかあることではない」
心が揺さぶられたのか、彼はかろうじて聞きとれるぐらいの小さな声で続けた。
「そんなふうに愛されたことで自由になれた。本当に驚くほど幸運だった。祖母のおかげで大きな自信と信じられないほど大きな自由を手にすることができた。だがその半面、義務も課せられた。自由を得た代わりに(彼は咳払いをした)、何事にも真面目にとり組まなければならないという考えが身に染みついた。祖母自身がそういう人だったから。だが、たぶん……。祖母がそばにいなくなってしまったいまこのときに、私は大統領選という戦いに身を投じた。祖母が生きていたら、私のことをどうかしてると思っただろう」
彼はほとんど子どもが声を詰まらせるようにしていい添えた。
「だが、たぶん、祖母は好きなようにやらせてくれただろう」
口調も内容も感動的な告白だった。彼は自分が政治を志したことに祖母が大きな影響を与えたと認めているが、政治家になるについて祖母と話したことはないという。だが、自分が政治家になるか、政治家にならないまでも何か社会的な活動をすることになると祖母にはわかっていたと確信している。
「祖母はつねにそんなふうに考えていたはずだ」
いまや子どものような声でそういいつつも、彼はあくまで主張した。