じじぃの「科学・芸術_535_アルゴリズム・主体関係(つながり)」

How to Connect YouTube and Facebook Accounts 動画 YouTube
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人のつながり

『WE ARE DATA―アルゴリズムが「私」を決める』 ジョン・チェニー=リッポルド/著、高取芳彦/訳 2018年発行
主体性――あなたは何者だと思われているか より
グーグルによる英語から”英語”へのコード変換は、ポルトガル語の話者と英語の話者をグーグル翻訳特有の、パターンに基づく、アルゴリズム処理のロジックに結びつける。ここで見逃せないことは、こうしたアルゴリズム上の”言語”は、、”あなた”や”私”をつくったアイデンティティー付与の働きを拡張し、”私たち”へと1つにつなぎながら、私たちの社会を結びつけるという事実だ。
例えばフェイスブックのアカウントがあるなら、ログインして、ニュースフィードに寄せ集められた人たちを眺めてみてほしい。怒涛の近況報告と補正しすぎたデジタル画像のアンサンブルは、無作為に表示されているわけでも、あなた自身に選ばれたわけでもない。アルゴリズムが収集・整理したものだ。10万個を超える変数の定量的マトリクスに従ってデータ化された、あなたの友人の序列と呼んでもいい。フェイスブックは実際に、会話の頻度や友達になってからの期間、プロフィールを閲覧したり投稿にコメントしたりした回数などに基づき、あなたの友人たちを数値で評価して、一人残らず順位付けしている。
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アルゴリズムによる私たちのアイデンティティーが「ジャスト・イン・タイム」の一時的なものであるのと同じく、私たちの関連性のネットワークもまた、1秒ごとに変化する。電話をかけてくる相手やカフェで隣に座ってコンピューターを使っている人、メールを送ってくる人のすべてが、データ上の人間関係を生み出すからだ。この関係は一時的なもので、すぐに消え去る。また、制約がないことで「I am me (私は私)」「you are you (あなたはあなた)」というセンテンスのピリオドが消え、パーセンテージでの比較に含まれる「either/or (どちらか)」の要素が否定され、ドゥルーズガタリの「リゾーム(地下茎)」の概念的基礎である無限の「and」が嗜好される。アルゴリズム上のアイデンティティーが私たちの人格にさらなるレイヤーを加えるように、「and... and... and...」という連続は静的なものの存在を拒む。そして、私たちが止まらない時間の中を進んでいくなかでデータは新しく生まれ続け、アルゴリズムはそれを使い、集約されたデータの意味を転調させる。
こうした「and」の使われ方と、それと対を成す無常性の概念によって一つひとつのデータ化された主体関係のテンポが決まる。アルゴリズム主義において、ある人に”外国人”のアイデンティティーが割り当てられる蓋然性は、今日は51%でも、明日は49%になる可能性がある。そのように、アルゴリズムを通じた帰属が転調するということは私たちの人格をどんなに詳しく評価しても、常に最新の状態から送れを取っているということだ。しかし、この動的な主体性は、理論上は有益だ。私たちがデータに生かされている限り、「and」に基づくアイデンティティーは、平等主義者たちの幻想よりも、私たちの政治世界の生の現実にうまく適合する。そして、私たちがデータによって他者とつながる限り、「and」に基づくアイデンティティーは、私たちの生の場となってきた強力な相互関係に重点を置いている。
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つながりは、私たちのデータ化された世界の共通語であり、束縛の源であると同時に、成長の糧でもある。断片が1つあるだけのデータには何も意味がないため、リベラルな主体の自治性を偏愛すれば、他者が存在に餓えることになる。パターンは一人の人間からではなく、人の集まりから生まれるものだ。アルゴリズムが私たちを解釈するときに、必然的に、私たちを他者の生活と結びつけることになる。この話は人間的な美しさを感じさせる一方で、統制ももたらす。”私たち”の行為に基づいて生を管理する。しかし、”私たち”も”あなた”も崩壊する可能性がある。アルゴリズムによる評価に干渉するのは、アルゴリズムの言葉を使うとともに、私たちが連帯して行動する必要がある。