じじぃの「プランクトンで命をつないだ漂流者!世にも奇妙な人体実験の歴史」

US women rescued after being stranded at sea for five months 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=GchrFFGOUDY
Boat drifting on sea


『世にも奇妙な人体実験の歴史』 トレヴァー・ノートン/著、赤根洋子/訳 文藝春秋 2012年発行
プランクトンで命をつないだ漂流者――漂流 より
海中に不時着したパイロットにとって、寒さはコックピットの中にいたときよりもさらに深刻な問題だった。とはいえ、凍死する前に溺死してしまっては元も子もない。日本の参戦によって、救命胴衣の詰め物として使われていたカポックの供給が止まってしまった。そこでカナダ・チームが代替品を求めてさまざまなものをテストした結果、「トウワタの繊維」が最適であると判明した。
     ・
1951年、1人の若いフランス人医師が、海岸で難破した船から救助された乗組員の手当てのために呼ばれた。しかし、ボンバール医師は、43人の遭難者を1人も蘇生させることができなかった。これがきっかけとなり、彼は難破の恐ろしさに目を向けるようになった。せっかく沈没船からは脱出できたのに、救命ボートで漂流中に死亡する人が毎年6万人もいること、その多くが脱水が原因で死亡していることを知り、彼はこの問題を何とかしようと思い立った。
漂流中に海水を飲んで助かったという話は、何例か知られている。たとえば、テエフ・マキマレは6人の仲間とともに(途中、2人が溺死したので最後は4人になった)、9リットルの真水だけで64日間生き抜いた。漂流機関のおよそ半分は、海水を飲んでしのいだ。かのトール・ヘイエルダールは、大型筏コン・ティキ号で太平洋横断をなし遂げた際、真水のストックに30〜40パーセントの割合で海水を混ぜて飲用していた。
     ・
大西洋に乗り出した最初の日から、異端者号は潮流に乗って、1400キロ南にあるカナリア諸島のほうへ向かっていた。カナリア諸島を逃がしてしまったら、次の上陸地ははるか6000キロ以上彼方の、大西洋の向こう岸である。魚はよく釣れた。自分からボートの中に飛び込んできてくれた魚までいた。11日夜、海の向こうにカナリア諸島が見えてきた。
ボンバールはラスパルマス(訳注:カナリア諸島の中の港町)から妻に電話をかけ、無事に着いたと伝えることができた。妻からは、娘のナタリーが無事に生まれたことを知らされた。ラジオ受信機も手に入れた。その機械は受信専用で発信することはできなかったから、当然、遭難してもSOSを送ることはできなかった。
ラスパルマスから、異端者号は北赤道海流に乗って西へ漂流した。まるで、海の中に流れている川を下っていくような感じだった。北大西洋の海流は、全周8000キロ以上の巨大な輪を形成している。何とかして、ずっと本流に乗っていかなければならなかった。南に流されてしまえば、激しい貿易風の吹く、嵐の多発する海域に迷い込む危険がある。北に逸れれば、海草が浮遊するサルガッソー海から永久に出られなくなるかもしれない。
ボンバールは漁師たちから、外洋では魚は滅多に捕れないという警告を受けていた。必要な水分量をかろうじて満たすだけの魚しか捕れなかったので、彼は海水を少量ずつ飲んだ。大西洋の海水は地中海よりも塩味が薄かった。
     ・
すでに40日以上漂流していたから、ふつうならもう壊血病の徴候が現れているはずだった。レモンが手に入る土地までは少なくとも数千キロあったが、彼は斬新な対処法を考案していた。ボンバールは、人間と同じようにクジラも体内でビタミンCを合成できないが、クジラは壊血病にならないということを知っていた。つまり、彼らの餌にビタミンが含まれているに違いない。クジラの中には、プランクトンの仲間の微小な甲殻類だけを餌にしている種類がある。そう考えたボンバールは、毎日、目の細かい網でプランクトンをすくい上げ、このドロドロした不味い液体を小さじ2杯分口に流しこんだ。これが効いたのである。

                        • -

どうでもいい、じじぃの日記。
『世にも奇妙な人体実験の歴史』という本に、漂流して食糧も水も持たずにどこまで生きられるかを自己実験したというフランス人医師のことが書かれていた。
食糧は魚を釣ることで得られるとして、喉の渇きをどうするか。
魚の体内にはかなりの水分が含まれている。
海水中のプランクトンにも水分が含まれているはずだ。
海水を目の細かい網ですくい上げ、搾ると、プランクトンから真水が得られる。
これで、57日間生き延びた、というお話。
信じるか信じないかは、あなた次第です?