じじぃの「おじいちゃん仮説・なぜ現生人類だけが生き残ったのか?脳研究の最前線」

Bushman -Once we were Hunters 動画 YouTube
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村の長老

『脳研究の最前線(上巻)』 理化学研究所脳科学総合研究センター/編 ブルーバックス 2007年発行
脳はどのように認知するか より
私たちは外界にある多種多様の物体を見て、一瞬のうちに認識することができる。これはすごい能力である。この当たり前だと思われているあるいは普段気がついていない能力のすごさを感じてもらうために、例えば次のような実験をしてみよう。
異なる景色の写真を150ミリ秒ごとに次々に見せ、その中に動物がいる写真をときどき混ぜて、動物がいたらボタンを押してもらう。実は、私たちはほとんど完璧に答えることができる。動物は写真ごとにイヌであったりサルであったり、鳥であったち魚であったりする。だからあらかじめ現れる動物の像を予想し準備することはできない。
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動物カテゴリーに属する物体の検出は、選択的注意を必要としない。それではどんな心理過程が選択的注意を必要とするのだろうか。
ワーキング記憶と呼ばれる認知処理過程には、選択的注意が向けられた感覚入力だけが入っていく。このことは、例えば両耳聴と呼ばれる条件ではっきりと経験することができる。ヘッドホーンで左右の耳に別々の文章を聞かせ、左耳あるいは右耳に聞かせた文章を復唱させる。「おじいさんは柴刈りに、おばあさんは……」「熊にまたがった金太郎はまさかりをかついで……」
そして、復唱の後に、復唱させた方と反対側の耳に聞かせた文章の詳細を尋ねる。被験者はほとんど答えることができない。これは、注意を向けていない感覚入力が記録されていなかったことを示す。
このような選択式注意の事実から、初めは、選択的注意による感覚入力の早期選択説が提案された。早期選択説は、感覚入力処理の一連の過程のかなり初期の段階で選択が働き、注意を向けた入力だけが処理過程に入っていき、それ以外の入力はブロックされると考える。
ところが早期選択説では説明できない現象がいくつもある。カクテルパーティー効果という言葉を聞いたことがあるだろうか。カクテルパーティー効果とは、カクテルパーティーのように大勢の人たちが集まり、部屋のあちこちでそれぞれ別な話題について話している場合に、注意を向けている相手の言葉だけが選択的に知覚される現象のことである。
カクテルパーティー効果そのものは早期選択説で説明できる。ところが、注意を向けていない人たちの中の一人が気になる言葉、例えば自分の名前、あるいは自分の好きな小説家の名前を言った途端、注意がその人の発言に向くことがある。この現象は早期選択説では説明できない。注意を向けていない感覚入力が処理過程に入っていなければ、自分の名前あるいは好きな小説家の名前であることはわからないはずである。
この現象を説明するために、注意を向けていない感覚入力も意味処理の段階までは処理されていて、一連の処理過程の中のかなり後期の段階でブロックされているという後期選択説が提案された。
後期選択説は注意による選択が絶対的なものではないことを示す。注意を向けていない対象に重要な情報を検出すると、そこに注意が向けられる。我々の脳は注意を向けて情報を選択しながらも、選択の対象を切り替える準備をいつもしているのである。これは、予測不可能な事柄が起こる複雑な環境の中で、うまく生きていくために当然必要な能力である。

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どうでもいい、じじぃの日記。
人の進化に関して諸説あるなかに、「おばあちゃん仮説」というのがある。
動物の中では、年寄りというのは存在しない。老化にともない、他の動物の餌食となるからだ。
このおばあちゃん仮説というのは、子供の子育てに重要な役割を担っていたのではないか、というもの。
なぜ、「おじいちゃん仮説」ではいけないのか。
人は約100万年前頃から、石を砕き鋭利な形に磨き、その石で獲ってきた獲物を解体するようになった。また肉を焼いて食べるようになり、長生きする人も出てきた。
そのうち人は、火の周りで、「アー」、「イー」、「ウー」、「エー」、「オー」とか唸り声でコミュニケーションをとるようになった。
一人の長老が、「ニク、ウスクキレ」とあまり聞き取れない声で唸った。
低い声にも関わらず、人々はその意味を理解し、肉を薄く切り、火で焼いた。「ウマ〜」。
次第に人の集団は長老を中心とした父権社会へと移っていった。
おじいちゃん、おばあちゃんを大切にするホモサピエンスだけが生き残ったのです。
ほんとかな。