じじぃの「科学・芸術_363_エコロジカル・フットプリント(EF)」

maps humanity’s ecological footprints

エコロジカル・フットプリント(EF)
(masaki-knz.cocolog-nifty.com HPより)

私の世界・知らない世界―「エコロジカル・フットプリント」って? masaki-signのブログ
ジオグラフィックの調査で、アメリカの人は「環境に及ぼす影響に罪悪感を抱く割合が最も低い」というものです。個人的には、「環境だけちゃうやん!・・」と思ってしまいます。
記事の中の「エコロジカル・フットプリント」という言葉を、恥ずかしながら知りませんでした。環境容量という概念は、40年近く前に榎並さんの都市問題のテーマで鹿児島市をモデルに報告書を作ったはずだし、流域総合計画の研究会で末石先生の話を何度も聞いたはずなのですが。
アメリカを始め西欧先進国、開発が進んだ国ほど当然ながら、「人間活動が地球環境を踏みつけにした足跡」は深く大きくなります。安心は出来ませんが、図で見ると日本はまだ「まし?」な方です。
http://masaki-knz.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-eaef.html
『気になる科学』 元村有希子/著 中経の文庫 2016年発行
「東京ドーム」で思考停止 より
全国で行方不明になっている「超高齢者」が気になる。100歳以上のお年寄りは、2012年に初めて5万人を突破。この20年で12倍に増えた。
と言われてもねえ……というのが、私を含めた国民の率直な感想だろう。このうち何人かは、確実に天国におられるのだろうから。数字は客観的だ。人を説得するには最適な武器だけれど、常に実態を表しているとはいえないのだ。
元東大教授の渡辺正さんは、報道の中の数字が、バイアスのかかったメッセージを伝えるために巧妙に使われることに批判的だ。
一時、盛んだった「猛毒ダイオキシン」報道。当時、ゴミを燃やして発生するダイオキシンが「環境基準の27倍の濃度」などと報道された。それ自体は正しい。しかし本当に重要なのは、その「27倍」が人体にとってどれほど有害なのかなのに、数字が独り歩きして不安を広げた。
ウクライナ大統領がダイオキシンを盛られて顔つきが変わってしまったことがあったでしょう。多くの人は「やっぱりダイオキシンは怖い」と思ったかもしれないけれど、彼は死ななかった。しかも摂取量は、私たちが食物から取り込むダイオキシンの5万年分に相当すると言われている。生きてせいぜい100年の私たちが取り込むダイオキシンの量は推して知るべし。そもそも、5万年分を一度に食べても死なないような物質が猛毒ですか?」
例をもう1つ。人間が生きていくために必要な耕地や海の広さを割り出して環境への負荷を見る手法がある。「エコロジカル・フットプリント(EF)」と呼ばれる指標だ。食糧生産のための耕地や、電力を作る過程で発生する二酸化炭素を吸収してくれる森林や海の面積などを足し合わせて計算する。世界自然保護基金の試算によると、日本人のEFは2.3。つまり、世界中の人が日本人並みの生活をしたら、地球は2.3個必要だという。
「へえ、日本人はぜいたくなんだ」と思うでしょう。その数字自体は正しいが、「世界中の人がもし米国人並みの暮らしをしたら、地球は5倍必要」というデータを聞いたらどうだろう。「なんだ、日本はやっぱり慎み深いのね」と正反対の印象になる。ちなみに、世界で見れば日本は37位(2012年)だそうだ。
数字は一種の魔法だ。見た瞬間、わかったような気になってしまう。