じじぃの「人の生きざま_766_はしだ・のりひこ(フォーク歌手)」

おくやみ:はしだのりひこさん死去、今年4月に最後のステージ 2017年12月3日 日刊スポーツ
「悲しくてやりきれない」「帰って来たヨッパライ」などのヒット曲で知られるフォークグループ、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった歌手はしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日午前1時16分、パーキンソン病で、京都市内の病院で亡くなった。72歳。京都市出身。
10代から音楽に親しみ、闘病中も体調の良いときには歌を口ずさむなど音楽とともに歩んだ人生だった。
親族によると、はしださんは約10年前からパーキンソン病を患っていたという。車いすでの療養生活を送り、今春には急性骨髄性白血病と診断され、闘病生活に入っていた。2日午前1時16分、京都市内の病院で家族や音楽仲間にみとられながら旅立った。長女は「闘病中も、体調の良いときには好きな歌を口ずさんでいた。本当に歌が大好きな父でした」としのんだ。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201712030000066.html
帰って来たヨッパライ by pongjigol /ザ・フォーク・クルセダーズ ポンジゴルの帰って来たヨッパライ 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vFa1pAQFB5c
はしだのりひこ 花嫁 (1991) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KpsSaExpmz8
ザ・フォーク・クルセダーズはしだのりひこ

週刊新潮 2017年12・14日号
墓碑銘 人気フォーク歌手にして”主夫”のはしり はしだのりひこさん、自身を切り開く力 より
1967年、京都府立医科大学北山修さん(現在は、きたやまおさむの名で活動)や龍谷大学加藤和彦さん(2009年に自殺)らによるザ・フォーク・クルセダーズは、解散を前にアルバムを自首製作した。
その中の1曲『帰って来たヨッパライ』が予想外の展開を見せる。ラジオ関西で紹介され人気に火がつき、「オールナイトニッポン」で放送されて全国に広まった。
ニッポン放送元社長の亀淵昭信さんは振り返る。
「面白い曲があるよと教えられて、当時アシスタントディレクターだった私は、パーソナリティー(DJ)の高崎一郎さんに伝えました。曲をかけると反響の早さに驚きました。警備の人から連絡がありましてね、どんどん電話がかかってきて、ヨッパライの歌をまたかけてくれというのだけれど何事でしょうかという言う。局の電話交換手がいない夜中で、警備につながっていたのです」
解散のはずが一転、プロデビューすることになる。この際、参加しなかったメンバーの代わりに請われて加入した、はしだのりひこさん(本名・端田宣彦)の人生も激変した。『帰って来たヨッパライ』は280万枚以上も売れたのだ。
はしださんは45年、京都生まれ。生家は伏見稲荷の近くで化粧品店を営んでいた。同支社高校から同支社大学に進む。ザ・フォーク・クルセダーズがプロ活動にあたり招いた読みは的中。「歌声の魅力に加え、場を沸せるのも得意で人気者になりました」(亀淵さん)
『悲しくてやりきれない』などヒットが続くが、北山さんが大学に戻り精神医学を学ぶため、予定通りデビュー翌年の68年に解散。1年で14億円を売り上げたという。
「当てよう、売ろうと狙わずに清々しかった。西洋のまねではなく日本的な感性も活かしながら新しい音楽を創り出した先駆者でした」(音楽評論家の安倍寧さん)
以降、はしださんはグループを創っては短期で解散した。作曲した『風』(69年)は教科書に載るほど親しまれ、『花嫁』(71年)もヒットして紅白歌合戦に出場。74年頃からソロで活動する。「アングラ的だったフォークを、誰もが聴けて口ずさめるメジャーな存在に変えた人です。メロディーがわかりやすく、心にすんなり入ってきました」(音楽評論家の宮澤一誠さん)
”主夫”のはしりでもある。高校の後輩でもある和子さんとの間に1男1女を授かる。83年に和子さんが狭心症で入院すると子育てと家事に専念した。時に長男は10歳、長女は5歳。多忙でも子供たちと密度の濃い時間を過ごしてきたつもりでいたのに、お母さんのやり方と違うと文句を言われてばかり。子育ては質より、まず接する量なのだと思い知る。
簡単な料理にも2時間を要し、自分にうんざりして酒に手が伸びる。ジロジロ見られる買い物が苦手だった。
和子さんの快復まで約3年に及ぶ奮闘を『お父さんゴハンまーだ』として著す。87年、『風のあるぺじお』として映画化された。
     ・
10年ほど前から体調を崩し、愛妻に先立立てもいる。今年4月には京都での音楽イベントに車椅子姿で参加した。きたやまさんや杉田二郎さんと共演、『風』などを歌い喝采を浴びた。
12月2日、パーキンソン病のため、72歳で旅立つ。
長男の端田篤人さんは、社会福祉を専門に長野大学で教鞭を執り、長女の端田新菜さんは女優として活躍。ふたりとも若い頃の志を実現したとは、父親との語らいの成果でもあるのだろう。