じじぃの「科学・芸術_330_エジプト・シリウス星と365日」

最新版 クレオパトラの天体図 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ViZhpCQylEk
Orion’s Belt points to Sirius

スカイツリー頂上は地上より時間が速く進むか? 実験へ 2017年11月24日 NHKニュース
東京スカイツリーの展望台にのぼると地上よりも時間が速く進む。これはアインシュタイン相対性理論から導かれる結論ですが、実際に超高精度の時計を東京スカイツリーに設置して、私たちが暮らす日常の空間で時間の進み方がどのくらい違っているのか調べようという実験を、東京大学などのグループが始めることになりました。
この実験を行うのは、東京大学の香取秀俊教授らの研究グループです。
アインシュタイン一般相対性理論では、時間の流れるスピードは重力の強さによって異なるため、地球の中心から離れれば離れるほど重力が弱まっていき、時間の進み方が速くなることが、理論上わかっています。
しかし、こうした違いは私たちが生活する空間では、ごくわずかなため、実際にその違いを計ることは困難でした。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171124/k10011234621000.html
コズミック フロント☆NEXT 「クレオパトラが残した 古代エジプト天文学 2017年11月22日 NHK BSプレミアム
【語り】萩原聖人
クレオパトラの天体図」という石版は、北と南の星に特別な意味づけをした古代エジプト人の世界観を今に伝えている。古代エジプト文明が天文学を発展させたミステリーに迫る。
クレオパトラの天体図ではシリウスの真下の神が暦の始まりとして描かれていた。
やがて、その周期が365日であることに気づく。
36の神々が円を描いているのはなぜか?
天体図より1200年前に造られた王家の谷に在るセティ1世の墓の壁には、長方形の帯状の表として36分割した南の星空が描かれいる。
南の星は地平線から現われるが日々変化していく。
10日毎に星々を36に分けて再び同じ位置に戻ることを表現した。
10x36日 + 祭礼のための特別な5日=365日とした。
次に時間。
シリウス星が現われる7月下旬は1年の始まり、その時期に日没から日の出までに見えた神々の帯は12なので、夏の夜を12の時間帯に分け、それを基準に冬の長目の夜も12の時間帯とした。
円錐形のすり鉢型でできた水時計(底の穴から水が漏れる)の内側には、冬は夏より粗い目盛りにして12+12=24時間とした。
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20171122-10-08087
NHKスペシャル 四大文明[エジプト]』 吉村作治、後藤健/著 NHK出版 2000年発行
エジプト文明のサイエンス より
古代エジプト人は、古代ギリシャ人のような真理の探求としての「科学」をもつことはなかった。彼らは、ナイル川流域での生活に役立つ実学としての知識を得ることを第1に考えていたのである。以下に、古代エジプト文明の科学技術の一端を各分野ごとに簡単に紹介していくことにしよう。
古代エジプトでは十進法が使われており、一、十、百、千、万、百万の数字を表すヒエログリフも初期王朝時代の初めから使用されている。十万を表す数字には、オタマジャクシの姿が、そして百万を表す数字には、両手を広げたヘフという神の姿が使われている。
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古代エジプトでは、古くから天の北極を中心として地平線に没することがない「周極星」を「不滅の星々」として崇めていた。王朝時代には、低緯度であるエジプトにおいても、歳差運動により「北斗七星」が周極星であった、そのため古くから注目されており、「メスケティウの名で知られている。墓の天井などには、周極星を中心とする北天の星座が描かれており、メスケティウは前脚や手足が短い発育不全の牛の姿で表され、ほかにはワニやライオン、カバ、サソリなどの動物の姿ウィもつエジプト固有の星座が描かれている。
また全天でもっとも明るい恒星であるおおいぬ座シリウスは、前述のナイル川の氾濫と結びつく星として注目され、「セプデト」の名で崇拝されるとともに、イシス女神の化身として考えられていた。そして、このシリウス星を指し示す星として、オリオン座の3つ星が特別視された。古代人はこの3つ星を「サフ」の名でよび、オリオン座をオシリス神の姿で表現している。
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私たちが、現在使っている1日を24時間に分割する方法は、古代エジプト人が考案したものであった。午前と午後とを12時間に分けることは、今から3500年前に始められたと考えられる。古代エジプト人は、日の出から日没までの昼を12等分したのであった。季節により日の出と日没の時間が変わり1時間の長さも変化するので、昼の1時間と夜の1時間とは、春分秋分の時期を除くと等しくはなかった。それではなぜ、古代エジプト人は昼と夜を12等分したのであろうか。
一般に、12ヵ月に由来すると考えがなされるが、必ずしも正しくないと思われる。おそらく、エジプトでは夏の日没から翌日の日の出までの夜の時間は、約10時間しかなく星が観測される時間は約8時間となる。このため、36あるデカン(星のグループ。シリウスやオリオンなど目印となる星のこと)のうち3分の1にあたる12のデカンしか観測できないことから、12等分することになった。このように夜の時間は、デカンを観測することで得られたと推定される。
一方、昼間は日時計が利用され、時間を計測する方法が採られた。古代エジプト新王国時代日時計は、木製でL字形をしており、午前中は垂直になる部分を東に、そして午後には反対の西に向けることで時間を測定した。しかしながら、太陽の高度や日の出、日没の方位の変化など、季節による太陽の運行の変化が大きく正確に時刻を測定することは困難であった。
日時計に代わるものとして、古代エジプト人が考案したものが水時計であった。一定の速度で落下する水を利用して作られた時計で、日時計と比較すると格段に正確に時刻を測定することが可能であった。カイロ・エジプト博物館には、新王国第18王朝のアメンヘテプ3世(前1388年〜前1350年頃)の銘のある、アラバスター製で高さが35センチもあるすり鉢形の水時計がある。流出型水時計とされるもので、容器の内側に時刻を記した目盛りが刻まれている。季節により、1時間の長さが異なっていたことから、季節毎に異なる目盛りで表示している。
1時間を60に分割して分を使う方法は、古代メソポタミア起源の六十進法を、古代ギリシャ人が採用して使いだしたものである。古代エジプトの1日を24に分割するという方法と古代メソポタミアの六十進法という古代オリエントの異なった考え方が、アレクサンドロス大王(前356年〜前323年)による東方遠征の結果、誕生したヘレニズム文化のもとで統合され新たに作られたのである。