じじぃの「科学・芸術_267_雌雄同体・カタツムリ」

Snails having Sex 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=JSkNlhBJWvA
snails sex

『ミクロの森 1m2の原生林が語る生命・進化・地球』 デヴィッド・ジョージ・ハスケル/著、三木直子/訳 築地書館 2013年発行
からまって 雌雄同体とカタツムリ より
日がのぼってからもう数時間たっているが、カタツムリが2匹、湿った落ち葉の上で体をさらしている。おそらく日がのぼる前からここにいる2匹は、交尾のためにねじれた格好でからまり合っているのだ。鼈甲(べっこう)色の殻は開口部同士向かい合い、2匹の体の灰色と白の肉は1つの塊に溶け合っている。彼らは非常に難しい交渉と交換の真っ最中だ。ほとんどの動物がするようにオスからメスに精子を渡すのではなく、カタツムリは精子を双方向に移動させる。カタツムリの個体はどれも、精子の提供者であり、受領者でもあって、オスとメスが1つの体に融合しているのである。
雌雄同体現象は複雑な利害関係の問題を生む――パートナー間で、生殖のために行う交換をいかに公平なものにするか、ということだ。
     ・
タツムリは触覚で互いに触れ合いながら、円を描き、ゆっくりと位置につく。その間いつでも後退し、あるいは相手を替える用意はできている。各段階でカタツムリが何を見定めようとしているのかはわからないが、彼らの長時間にわたる求愛と交尾は、慎重に演出された外交交渉のようでもあり、結婚の条件に関する婚姻前協議のようでもある。
こんな物憂い関係は代償も大きいに違いない。曼荼羅(1m2の原生林)のカタツムリは、体の大部分を殻から出した状態で30分以上も横たわっており、鳥などの捕食動物にとっては格好の餌食である。
ほとんどの動物は雌雄の性機能が別々にあり、雌雄同体というのはめずらしい生殖システムだ。だが陸生巻き貝はすべて雌雄同体だし、海に棲む軟体動物やそのほかの無脊椎動物の一部もそうだ。
曼荼羅にいるカタツムリの生殖活動は、鳥やハナバチよりもむしろ春の野草との共通点が多い。曼荼羅に生えるスプリング・エフェメラルや木々はすべて雌雄同体であり、その多くはオスとメスが1つの花の中に同居している。
なぜ生殖システムがこれほど多様なのかは謎である。ミソサザイには男子と女子がいるのに、ミソサザイが暮らす木々が男子であると同時に女子なのはなぜなのか? ミソサザイがヒナ鳥に与える甲虫はオスかメスのどちらかなのに、同じくミソサザイの嘴(くちばし)が餌つぃては混んでくるカタツムリはすべて雌雄同体なのだ。
進化論においては、この謎は自然界における経済性の問題として扱われてきた。生物学者自然淘汰を、企業経営者が最良の資金配分を決定するのと同じように、生命体がその生殖エネルギーをどのように投資するかを決定するプロセスと捉える。
     ・
しかし雌雄同体の動物は、ほとんどのカタツムリをはじめ、単独では暮らさないし、たとえ独房に入れられようが自家受精はできないものがたくさんいる。つまり孤独な生活だけが雌雄同体となる原因ではないのである。進化の過程は、生殖に対する一般的なアプローチが大いに成功しているときですら、雌雄同体をひいきにしてきた。
タツムリは繁殖の縄張りを護ろうとはしないし、鳴きもしなければ色鮮やかでもない。また、親として卵の面倒をみることもせず、落ち葉の中の浅い穴に卵を産みつけて放っておく。生殖にともなう義務がこのように比較的単純であるために、カタツムリは雌雄どちらの性別の機能も損なうことなくオスでありまた同時にメスでいられるのだ。
鳥類や哺乳類など、より特化した性的役割をもつ生物種ではこうはいかない。彼らの場合、自然淘汰のプロセスは、個体が男性性あるいは女性性のどちらかに集中することを好む。経済用語を使えば、カタツムリはオスとメスを組み合わせた投資信託型の戦略をとったほうが運用益が大きいし、鳥の場合は1つの性に全資本を投下したほうが運用益が大きい、ということになる。
曼荼羅の生物種のそれぞれがもつ生態学的、生理学的特徴の多様さが、長きにわたる自然淘汰を経て、多種多様な性的行動を生み出した。人間にとってはあまりにも異質に思える雌雄同体のカタツムリの抱擁は、自然界における生殖活動が、人間が想像するよりももっと適応力があり多種多彩である、ということを思い出させているのだ。