じじぃの「科学・芸術_236_中国人気質」

勵志歌曲-大同世界-繁體版 動画 Youtube
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『中国人のまっかなホント』 J.C. ヤン/著、小林千枝子/訳 マクミランランゲージハウス 1999年発行
年配者への尊敬の裏に より
老人に対する尊敬の念は、中国人の心に深く根づいてきた。彼らは、西欧では無情にも年寄りが家庭から追い出され、老人ホームに閉じ込められることを軽蔑している。しかし、その尊敬も現在の中国では薄らいだらしく、老人ホームも徐々に登場してきている。その一方で、いくら年をとっていようと指導者を重んじることだけは今も変わらない。彼らは、「賞味期限」がとっくに切れている。だが、指導者への尊敬の念ははるか昔から中国人の心に培われているので、彼らの意見は絶対なり、というわけだ。
ギャンブルは楽しみにあらず より
中国人は、ギャンブルを楽しむというより、はるかに真剣にやっている。「楽しむ」には娯楽の意味が含まれているが、彼らにはギャンブルを娯楽としてすることなどできない。自分が支払える以上のものを賭けるのだから、もう病気としか言いようがない。だが、10億人以上いるなかには当然、勝者は存在する。そこで、中国人はますます価値をめざすことになる。
ギャンブルの対象はありとあらゆるものだ。サッカー、ビリヤード、競馬、ルーレット、豆や硬貨を使う博打、さいころ賭博、トランプ、麻雀、ドミノ、ドッグレース、株式、宝くじ、コインの表と裏、選挙結果、為替レート、未来、デリバティブ商品、コオロギ合戦、闘鶏、亀レース、……と書いてもきりがない。
19世紀の広州には、客とオレンジの種の数を当てる賭けをしながら商売をしていた男がいたという。種の数を当てられた幸運な客は、オレンジをただで食べられたそうだ。香港で開催される競馬の1レースに賭けられる金額は、ヨーロッパのどんな盛況なレースも太刀打ちできない。香港では、競馬場に出かけていっても満員で入れないことがよくある。
中国人の多くは、自分は賭け事をしないと言うだろう。その意味は単に、ギャンブルに注ぎ込むだけの金が今のところはないということにすぎない。これは賭けてもいい。

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『マスコミより確かな 習近平の言い分』 孔健/著 三五館 2015年発行
毛沢東を超えた? 習近平指導力 より
1949年10月1日、毛沢東天安門から「ここに中華人民共和国の建国を宣言する」と世界に向かって高らかに謳いあげてから半世紀以上の時間が経っている。この間多くの指導者が現れては通り過ぎていった。中国国民はそれら歴代の指導者をどう評価し、対日姿勢はどうだったのか。そのことを知ることは日本人にとっても中国を考える参考になることだろう。中国人民が評する指導者の貌(かお)とは――。
毛沢東の中国人の評価は「功績第1、誤り第2」というものだ。人民を搾取する蒋介石を中国本土から叩き出し中華人民共和国を建国した功績は揺らぐものではないが、大躍進政策の失敗、特に晩年のプロレタリア文化大革命の失敗はいまでも中国人の心に重くのしかかっている。失敗はあったが、功績の大きさは失敗を上回っているという評価だ。
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180センチ、100キロの堂々たる体躯で世界の要人と渡り合う習近平の傍らには、美しくしっかり者の妻が控える。
夫人は、2014年5月北京で開かれたアジア信頼醸成措置会議の関連会議で、日本からオブザーバーとして参加した日本大使館の堀之内秀久公使夫妻に日本語で「こんにちは」とあいさつをし、堀之内公使夫人が「とてもお美しいですね」と声をかけたところ、「ありがとう」と応じたと、報じられている。
中国は変わった――世界は、習近平とその妻にこれまでの最高指導者とは違った印象をもった。そして、中国そのものの変化を感じている。
習近平が”山からの指導者”胡錦濤の次の総書記候補としてクローズ・アップされたころ、わたしは、彼を”海からの指導者”と評し期待をした。”海からの指導者”と呼んだのはそれまでのキャリアが福建、浙江、上海において、それぞれのトップとしての経験を積んでいたからだ。それら3つの省はすべて海に面し、日本企業だけでなく沿岸部に存在する外国企業との接触を通してグローバルなセンスを身につけていることへの期待だった。
しかし政権発足後、わたしが習近平に見いだしたものは、皇帝、あるいは大統領としての風格をもった、落ち着いて堂々とした姿だった。そこでわたしは「五行説」をひも解いてみた。古代から中国では王朝の交代を「易姓革命」によって説明することに倣った。中国では皇帝の名前に「水」が関係していることが良いこととされてきた。毛沢東江沢民には「さんずい」があり、「水」と関係する。訒小平の「平」は「ピン」、水を溜める「瓶(ビン)と同じ発音をするため水にちなんでいる。すると習近平にも同じ「平」の文字が使われれているではないか。
なぜ、皇帝の名前に「水」の要素が必要なのか。自然哲学の思想である「五行説」は、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなり、中国の国土は「土」であり「土」が必要とするものは「水」という理屈になり、中国(土)を治める皇帝には「水」が必要だ、ということになる。
むかしから中国人の潜在意識には内なる皇帝文化が存在し、民の上に重しのように皇帝が存在することで国は治まるのだ。中国には”皇帝”が必要なのだ。