じじぃの「科学・芸術_177_スイスとドイツの関係」

English vs. German vs. Swiss German (Zurich) vs. Swiss German (Valais) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Gz2S9iggdzM
Switzerland

スイスには4つの「語圏」が存在する reponの日記
スイスは4つの言語が話されている。
しかし、4つの公用語ー「ドイツ語」「フランス語」「イタリア語」「レトロマン語」ーは、スイスのどこでも話されているわけではない。
スイスの地図は、4つの言語が話されている地域で、きれいに区分けされる。
http://d.hatena.ne.jp/repon/20130814/p3
『スイスを知るための60章』 スイス文学研究会 赤石書店 2014年発行
対ドイツ 大国への憧れと反発 (一部抜粋しています)
スイスにおいてドイツ語を母国とする人々の割合は6割強に達し、スイス人にとって北の隣国ドイツ、ドイツ人との関係は、重要な課題であり続けている。すなわち両国の間には共通点のみならず相違点も多く存在し、スイスとドイツとの関係は国民心理的、歴史的に複雑な様相を呈している。例えば、「ドイツ人とスイス人との間には目に見えない壁が存在する」とも言われる。本章では両国の関係の歴史的な変遷、現在のスイス人におけるドイツ観、両国の関わりの諸相、今後の展望等に触れてみたい。
スイス盟約者団は15世紀末期、スイスでの失地回復を試みたハプスブルグ家と再び抗争に陥った。このシュヴァーベン戦争において南ドイツの諸公は後者の側に立ちスイス盟約者団と戦い敗北した(1499)。これはドイツとスイスとの間でかつて行われた唯一の戦争であり、今日なおドイツ人、スイス人がそれぞれ相手に対して用いる「牛のようなスイス人」「豚のようなシュヴァーベン(この場合シュヴァーベンはドイツ人の総称として用いられている)という蔑称は当時、生まれたと言われている。このシュヴァーベン戦争での勝利もありスイスでは民主的な市民共同体が生き長らえたのに対し、ドイツで生まれた同様の共同体は貴族・王族を支配者として仰ぐ領邦国家へと吸収されていった。16世紀の宗教改革に際して、ルターとツヴィングリはそれぞれドイツ、スイスにおける改革を代表した。しかし両者は同じプロテスタント陣営として教義をめぐる一致に達することなく、ドイツのプロテスタントはいわゆるルター派、スイスのプロテスタントは後にジュネーブカルヴァン派と合同しいわゆる改革派を形成し、互いに対立した。ルター派はアウクスブルグ信仰告白(1555)、改革派はスイス第2信仰告白(1566)というそれぞれ別の信仰告白を共有し、ドイツ、スイスの国教会となった。この2つの国教会は、先に触れた、両国の間で相互に異なる共同体・国家のあり方を変えた。
      ・
ドイツとフランスが宿敵同士であった時代、ドイツ語圏とフランス語圏をともに抱え込むスイスにおいてドイツとの関係構築如何は内政と密接に関連していた。第一次世界大戦の教訓は、ナチズムから第二次世界大戦の時期に活かされた。ドイツには言語国民という考えに基づいてドイツ語を話す住民をドイツへ併合する動きがあり、スイスもその脅威にさらされた。しかしスイスはフランス語圏出身のアンリ・ギザン将軍をスイス郡総司令官に戴き、全体としてナチズムの誘惑に屈することなく中立を守り抜いた。第二次世界大戦、(西)ドイツとスイスの首脳が互いに相手国を表敬訪問し、ドイツはスイスにとって最大の交易相手である等、両国の関係は国レベルでは緊密であり続けている。
今日のスイスにおいても上の歴史を踏まえ、ドイツは大国(対スイス比が面積で約9分の1、人口で約12対1)であるがゆえに警戒を要する国であるというイメージが存在する。ナチ・ドイツによる脅威がその敗北によりいったん消えた後、西ドイツによる奇跡の経済復興、東西ドイツの再統一はこうしたイメージを復活させ、近年ドイツからの高度技術を身につけた新移民の流入もこのイメージの強化に一役買っている。ドイツ人は同じドイツ語を話す者としてドイツ語圏スイス人の仲間であるよりも、競争相手と見なされる場合が増えている。「大きな声で標準ドイツ語を機関銃のような速さで話す、傲慢な」ドイツ人に違和感を覚えるスイス人は少なくない。他方スイス人は自分たちのスイス訛りのドイツ語に劣等感を抱いているとも言われる。翻ってドイツ人はスイス人が誠実で信頼が置けると見なし、ドイツ語圏スイスの中に、戦争で失われた古き良きドイツの姿を見出し、郷愁を覚えることも珍しくない。しかしこうしたドイツ人による好意的なスイス(人)像は、かえってスイス人の苛立ちを掻き立てているようでもある。「一寸の虫にも五分の魂」の精神でドイツに対処してきたスイス人は、ドイツ人の保護者めいた鷹揚な素振りに我慢がならないと言う。こうしたスイス人のドイツ観は彼らの自己憎悪の表れであるとも指摘される。