じじぃの「科学・芸術_143_ブラジル・移民の国」

ブラジル:奴隷の物語 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wiG_RlIv49M
Rio de Janeiro Brazil 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ueuEF5kQFPM
主な言語と人種構成
(gakusyu.shizuoka-c.ed.jp HPより)

ブラジルの歴史
ブラジルは カブラウにより 1500年に発見されました。
と言っても 他国での世界史では語られることは有りませんが 事実 その以前 1492年 コロンボにより 現在のカリブ諸島が発見された後 複数のスペインの探検家が南米沿岸に到達した記録があるので カブラウが発見したことにはなりませんが 実はこれには当時のポルトガルとスペインの政治的背景があり 1493年両国は協定を結び アフリカ大陸西沖合の大西洋上の諸島の西側を 南北に線を引き その東側 アフリカから インドまでを ポルトガル 西側をスペインにと 世界を二分した訳ですが その後ポルトガルが これを不満として 翌年 1494年 この線を更に西側にずらし 現在の西経50度付近にしたのが トルデジリャスの協定とよばれ これで めでたくブラジルがポルトガル領になったわけですが それにしても すごいものですね。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/6276/oshikiri/historia.htm
『ブラジルを知るための56章』 アンジェロ・イシ/著 赤石書店 2001年発行
「移民の国」の形成過程 (一部抜粋しています)
  「この恵まれた大地に移住した我々は幸せ者だ」
             (連続ドラマの主人公の台詞)
「ブラジルの映画には言語的多元性の素質がある」と歴史学者のカルロス・デ・ソウザはいっている。鋭い指摘である。ブラジルでは映画のみならず演劇にせよテレビにせよ、ポルトガル語と並んで複数の言語がごく自然に飛び交う。ブラジル国民は世界中からの移民によって構成されているが、移民の数だけ言語もあるのだ。
以前ヒットした連続テレビドラマ『テーハ・ノストラ』(我が大地)も例外ではなかった。1999年10月から2000年6月まで毎晩放映されたこのドラマの主人公は、20世紀初頭にイタリアからブラジルへ渡ってきた移民で、主役や脇役はイタリア系ブラジル人の俳優が演じ、エキストラが必要な場合も本物の移民が抜てきされた。視聴者からは「まるで自分の家族のことが描かれているようで胸が熱くなった」という声が殺到した。物語にはスペイン人やユダヤ人なども登場したが、俳優たちが、例えばスペイン語なまりのポルトガル語をうまくしゃべれるかどうか確かめるのも、視聴者にとってはもう1つの楽しみになったのである。あまりの反響に『エスペランサ』という題名の続編までもが2002年から03年にかけて放映されたこのドラマの成功は、ブラジルが「移民の国」であることを国民に改めて確信させたのである。
各国からの移民受け入れのブームは19世紀末の奴隷制度廃止後に始まり、20世紀まで続いた。最も多く移住したのはスペイン人をはじめ、イタリア人やドイツ人だが、厳密にいえば、ブラジルが受け入れた最大の移民グループはまさしくこの国を「発見」したポルトガル人なのである。
ブラジル国民の間では、自国が経済発展に出遅れているのはポルトガル人に支配されていたせいだと冗談をいう人が多い。いっそのこと、16世紀にブラジルを奪うことに失敗したオランダ人にそのまま支配されていればよかったと真面目に信じる人も少なくない。イギリスの植民地になっていればアメリカ並みに発展していたはずだというのが劣等感の根拠である。
ポルトガル人といえば、一般的には「移民」と区別して「植民地支配者」というイメージが先行するが、実はブラジル「発見」直後にブラジルに渡った入植者はごく少数だった。大勢のポルトガル人がやって来たのは、やはり奴隷制度が破綻した19世紀後半のことである。ポルトガル国内で最も貧しい地域の出身者がブラジルの農業地帯や大都市に移住したのである。彼らは低学歴で、マナーもブラジル人から見て下品だったため、「間抜けなポルトガル人」をジョークでからかったりする傾向が、その頃生まれたと指摘する歴史学者もいる。
ポルトガル人以外の外国人受け入れを積極的に始める分岐点になったのは、1808年にブラジルに渡ったジョアン6世が外国籍の者にも土地所有の権利を発令したことである。それに触発されて1818年にブラジルhw渡った最初の移民集団は意外にもイタリアやドイツからではなく、1682人のスイス人だった。彼らはリオデジャネイロ州にノーヴァ。フリブルゴという町を設立した。以来、各国から約1世紀の間に計350万人の移民がブラジルに移住した。
前述したテレビ・ドラマの移民たちが最も頻繁に口にする言葉は、「祖国(イタリア)が恋しい」と「この国(ブラジル)は素晴らしい」だ。すべての移民に共通するこの2つの言葉は、特に1世と呼ばれる初代移民の精神を象徴している。このドラマは第一次世界大戦が勃発する時点で終わるが、ラストシーンが「このストーリーはここで終わらない」というメッセージで結ばれている通り、実在する移民の試練は、みしろそこからが本番だったのだ。なぜなら、イタリアもドイツも日本も、第二次世界大戦を含めてブラジルと敵対関係になったからだ。アメリカのように移民が強制収容所に入れられるのは至らなかったが、1934年には当時のヴァルガス政権が初めて移民受け入れに年間の人数制限を設けるなど、移民に対する風当たりも厳しくなった。