じじぃの「人の死にざま_1757_ジュゼッペ・ガリバルディ(軍事家・イタリア統一)」

la storia di giuseppe garibaldi 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wYIJC-v9LBU
ガリバルディ

ガリバルディ イタリア建国の英雄』 イタリアに好奇心
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ガリバルディ - イタリア建国の英雄』 藤澤房俊/著 中公新書 2016年発行
はじめに より
19世紀イタリアに一人の英雄がいた。その名をジュゼッペ・ガリバルディ(Giuseppe Garibaldi 1807〜82)という。
イタリアの町や村に、ガリバルディの名前を冠した通りや広場が、かならずと言っていいほどある、ローマ、ミラーノ、ジェーノヴァ、ナーポリなど主要都市の駅前や中心部に巨大なガリバルディ銅像がある。そのほとんどが、かれが亡くなった1882年から1915年にかけて、イタリアの国民形成に取り組んでいた時期に建立されている。そこに住む人々は銅像を通じて、ガリバルディが日常的に親しく接してきた、近代イタリアの「記憶の場」であった。それだけに、イタリアではガリバルディを知らない人はいないであろう。
では、そのガリバルディとはいかなる人物か、どのような思想の持ち主なのか。その人物像と思想を青少年に簡潔かつ的確に伝え、教えるために19世紀中葉に出版された、ガリバルディについての「教理問答」がある。
  ガリバルディとは誰ですか?
  ガリバルディは天と地から祝福された一人の寛大な持ち主です。
  何人のガリバルディがいますか?
  ガリバルディは一人だけですか?
  どこにガリバルディはいますか?
  正直なイタリア人のすべての心のなかにいます。
  ガリバルディにはいくつの人格が存在しますか?
  ガリバルディには明確に異なる3つの人格が存在します。
  その3つの人格とは何ですか?
  祖国の父、人民の子、自由の精神です。
ガリバルディは、1849年のローマ共和国防衛戦ではフランス軍と獅子奮迅の戦いを展開し、1860年の千人隊によるシチリア・南部イタリアの征服ではブルボン軍に奇跡的な勝利をおさめた。それによって、敵の銃弾が避けて通る、負けを知らない英雄、白馬に乗って自由をもたらす英雄というガリバルディ神話が生まれた。
おわりに より
ガリバルディは74歳で亡くなっている。今の私と同じ年齢である。私も、他者の哀しみ
の一端でも理解できる年齢になったのかもしれない。そのような思いで、19世紀を駆け抜けた、実に人間臭いガリバルディを書くことにした。
ガリバルディはマッツィーニのような知性、カヴールのような政治的感性、ピサカーネのような軍事的知識、それらのすべてを欠いていたが、リソルジメント運動の主役の一人となり、英雄と崇められた。
ガリバルディの特質を思いつくままに挙げてみよう。心が熱く、邪気がない。単純で一面的な考え方しかできない。直感が熟慮をはるかに上回り、直情径行で、熱情にかられて行動に走る。向こう見ずで、意味もなく勇敢で、無謀な行動主義者で、非情時型の人間であった。また、私利私欲や地位名声を求めず、清廉潔白で、天真爛漫な、大きな駄々っ子的特質は、民衆を惹きつけてやまない魅力となった。それだけに、かれは、理論家や政治家にはできなかった、困難な時代を切り開くことができたのも事実である。
ガリバルディは、19世紀の愛国者や民主主義者を引き寄せるマグネット、磁石のようなカリスマ的な存在で、代替者を見出すのが困難な、心情あふれる、愛すべき存在である。瞬時にして、人の心をつかんで離さない、天正のものを持っていた。それを、よい意味で「人たらし」と呼ぶことができるのではないだろうか。
著名な歴史家ガエターノ・サルヴェーミニは、ムッソリーニの独裁を逃れてパリに亡命していた1932年に開催されたガリバルディ没後50周年の集会で「イタリアだけでなく自由と平等を体現する全人類的な人間」であるとガリバルディを評している。
「そのガリバルディは、今も全人類的なメッセージを私たちに発信し続けている。それは何か。それは自由と平等を求める人類のソリダリタ(イタリア語)、連帯であろう。そのメッセージはこれからも永遠に生き続けるであろう。