じじぃの「科学・芸術_131_スコットランド・お雇い外国人」

明治 お雇い外国人とその弟子たち 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jXnaTapTa6o
日本の近代化

Thomas Blake Glover
http://mcjazz.f2s.com/GloverTB.htm
スコットランドを知るための65章』 木村正俊/著 赤石書店 2015年発行
日本近代化に貢献したスコットランド (一部抜粋しています)
ただ、近代化といっても、その正確な意味さえよく理解されないまま、事実上白紙のスタートとなった。とにかく、待ったなしの日本にとって取りうる選択肢はただ1つ、先進国からの先端知識、技術、人材、いや産業そのものを移入する以外になかった。その先進文明の導入先として、日本が白羽の矢を立てたのがスコットランドであった。それはごく妥当な選択だったことは明白である。なぜなら、スコットランドこそ18世紀後半から19世紀にかけて、ジェームズ・ワットによる蒸気エンジンの改良を起爆剤として産業革命を世界でいち早く達成し、世界の工場としての地位を確立した最先進国であったからである。同国は日本の近代化が最も必要とする人、もの、知見すべてを供給できる立場にあったのである。
しかも、同国は16世紀の宗教改革を機に、世界で初めて国民皆教育制を導入して、人は誰でも意志さえあれば学ぶ機会を与えられ、しかも幼少時から知識の習得とその活用を同時に学ぶいわゆる実学教育を基本方針として育てられた結果、近代文明の利器となるおびただしい発明発見を生み出した。この実学教育をたたき込まれた青年たちが日本の近代化に馳せ参じたのである。彼らは、先端知識を惜しみなく日本に伝授するだけでなく、それを実際に社会の進歩のために活用する術も教えてくれた。このことが日本の近代化のスピードアップにどれほど貢献したか計りしれない。なにしろ維新からわずか30年(条約改正は1899年)の短期間で、先進国並みの近代化を達成し、「日本の奇跡!」として世界を驚嘆させたからである。
さて日本の近代化に貢献したスコットランド人は現在60余名を数えるが、うち約3分の1に当たる人たちが傑出した功績を挙げて、今なお「父祖(始祖)」や「恩人」の称号で呼ばれ、人々の思慕や感謝を集めている。これらの称号は、誰がどのような分野で近代化に貢献したかを端的に示唆しているので、部門別に分類していちべつしてみよう。
まず産業機械(システムを含む)やインフラ事業関連の父祖としては、「灯台」「横浜町造り」「電信、鉄道、港湾、銀座レンガ街などの各種インフラ土木事業」のリチャード・ブラントン、「鉄道」のエドモンド・モレル、「上下水道」のウィリアム・バートン、「北海道農牧業」のエドイン・ダン、「三菱企業グループ」「食品、造船、鉱山、貨幣鋳造、ビールなどの各種産業」のトマス・グラバー、「国産ウイスキー」のリタ竹鶴、「近代銀行制度」のアレックス・シャンドの名が挙げられる。
次に教育・学術の部門では、「高等工学教育」のヘンリー・ダイアー、「ヘボン式ローマ字」「日本語聖書」のジェイムズ・ヘボン、「指紋研究」のヘンリー・フォールズ、「地震学」のジョン・ミルン、「言語学」のバジル・チェンバレン、「考古学」「アイヌ研究」のニール・マンロー、「海軍士官教育」のアーチボルト・ダグラスなどのほか、「衛生工学」の上記バートンも付け加えられる。
そのほか文化、社会全般では、「日本開国」のマシュー・ペリー、「日本ジャーナリズム」のジョン・ブラック、「横浜山下公園」のマーシャル・マーティン、「日本建国」のフリードリン・フルベッキらがいる。
上記のとおり、スコットランド人が切り拓いた分野は、およそ近代国家に不可欠なほとんどあらゆる方面に及んでいるが、ひときわ産業・インフラと教育・学術の2部門の功労者が圧倒的に多い。
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なお上記のスコットランド人には、いわゆる「お雇い外国人」(近代化の助っ人)が半数以上含まれているが、そのほぼ全員が政府の雇用したいわゆる「官雇」である点は、他の外国人にはない特徴である。当時民間資本の未熟さから、近代化が専ら政府主導でい粉われただけに、一層その貢献度が際立つのである。
彼らお雇い外国人は一般に「近代化の脇役」と見做されるが、その事績や生き様を公平に見れば、決して脇役ではなく、共同のパートナーと呼ぶほうがふさわしいのではないだろうか。彼らのほとんどが、20代の若さで来日し、まったくの異文化の中で、想像を絶する言語やさまざまな文化バリアーと戦いながら、伝道者のような使命感と情熱を傾けて、時代や歴史に耐え得る遺産を残してくれたのである。言いかえれば、創世記の近代日本は、日本人とスコットランド人の合作だったといっても過言ではない。
いずれにしろ、バランス感覚と柔軟な思考、それに適応力を持ったスコットランド人を近代黎明期のパートナーに迎えた日本は、じつに幸運であったといわねばならない。