Charlie Hebdo: Paris terror attack kills 12 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=mpvz7w6ilNk
シャルリ・エブド
シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 *1 2016/1/20 amazon
『シャルリとは誰か?』で私はフランス社会の危機を分析しましたが、11月13日の出来事〔パリISテロ〕は、私の分析の正しさを悲劇的な形で証明し、結論部の悲観的な将来予測も悲しいことに正しさが立証されてしまいました――「日本の読者へ」でトッド氏はこう述べています。
本書が扱うのは昨年一月にパリで起きた『シャルリ・エブド』襲撃事件自体ではなく、事件後に行なわれた大規模デモの方です。「表現の自由」を掲げた「私はシャルリ」デモは、実は自己欺瞞的で無意識に排外主義的であることを統計や地図を駆使して証明しています。
ここで明らかにされるのはフランス社会の危機。西欧先進国にも共通する危機で、欧州が内側から崩壊しつつあることに警鐘を鳴らしています。ユーロ、自由貿易、緊縮財政による格差拡大と排外主義の結びつきは、ベストセラー『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』にも通じるテーマで、前著の議論がより精緻に展開されています。
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『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』 エマニュエル・トッド/著 文藝春秋 2016年発行
イスラム教のフランス人たち (一部抜粋しています)
たしかにパリ盆地では、平等主義的核家族が相続の際に、男子であろうと女子であろうと、すべての子供を平等に位置づける。したがってフランス人にとって、一方では人びとの間の平等を、他方では男たちと女たちの間の平等を考えることはまったく同じ原則の適用にすぎない。しかし、これは一般的なケースではないのだ。たとえば英米やスカンジナビア半島の国々では、女性のステイタスは高いけれども、それが人間の間の平等という原則の不在と組み合わさっている。パリ盆地の平等主義的核家族は1つの長い歴史の所産であり、それ自体がすでにローマ時代に両性の子供たちを平等に扱っていた後期ローマ帝国の平等主義的家族の歴史の延長なのだ。しかしさらに歴史を遡ると、そこには共和主義時代のローマの家族があって、それは男子だけを対称的に捉えていたのである。家族の平等原則の源に必ず見出せるのは――中国でも、北部インドでも、ロシアでも――女子ではない存在としての男子を平等に規定する父系性的な組織形態なのだ。アラブ家族のケースも同様である。
アラブの内婚制共同体家族は兄弟の平等と連帯という原則を中心に構築されていて、男子に限定された普遍主義を表している。メンタルなメカニズムは通常、次のタイプだ。「兄弟が平等ならば、人間は平等だ。諸国民も平等だ。ただし留保があって、それは女性は人間ではないということだ」。
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パリ地域に関していうと、都市郊外の多くの若者によるユダヤ人的差異の拒否のうち、実際にも、また理論的にも、フランス中央部の文化を特徴づける普遍主義の決定力によるだろうものと、イスラム教普遍主義の存続に由来しているであろうものとを区別することはできない。
しかしながら、国民戦線(フロン・ナショナル)の選挙民におけるアラブ人恐怖症と都市郊外の反ユダヤ主義の間には、構造的な違いが1つ存在する。国民戦線への投票は、教育の階層化メカニズムによって、民衆が社会的ヒエラルキーの中で自分たちよりも下の階層にスケープゴートを求めるという点に由来している。ところが郊外の反ユダヤ主義の場合には、若者たちは宗教を実践するユダヤ人たちを社会的に劣等と見ることはできない。そのユダヤ人たちの数が少ないために、お誂え向きのスケープゴートになるという面もたしかにあるが、社会環境の原子(アトム)化という文脈の中では、宗教実践をするユダヤ人たちはむしろ羨まれる状況にあると考えられる。彼らが閉じたコミュニティでまとまっていることにより、フランス社会の周辺部に広がる空白・空虚から彼らは護られるわけだから。
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いずれにせよ、国民戦線への投票と都市郊外の反ユダヤ主義のあまりにも明らかに存在する差異を超えて、いずれの場合にも、同化したり融け合ったりすることが一時的に阻害されることで、普遍主義がレイシズム[人種主義]として現れてしまう、という唖然とするようなメカニズムにわれわれは直面する。社会構造のより上層部では、不平等の擡頭に支えられて、シャルリが平然として超然とする価値を語り、それらの価値の名において、平等主義的でありながら、逸脱してしまっている2つの民衆グループを断罪することができる。すなわち、レイシスト[人種主義者]というふうに捉えられる国民戦線の選挙民たちと、反ユダヤ主義者と見做される移民2世たちである。ところが、ほかでもないその中産階級が、後ろめたさをいっさい感じずに、実際にはエゴイズムと軽蔑心を繰り返し、社会の下部が壊疽(えそ)に罹って病んでいくことを許容し、日々さまざまなカテゴリーの人口を社会的に周縁化しているのであって、その周縁ではフラストレーションと怒りが蓄積している。反レイシズムの心情告白を超え、反ユダヤ主義と戦うという政府の反復的な公約を超えて、巨大な社会的玉突きゲームの果てに、シャルリがイスラム教のフランス人たちを冷遇することによって、ユダヤ系フランス人たちを危険に晒すことに成功している、というのが真実だ。そして、人びとの生活の現実に対して鈍感で冷酷な経済政策の下、シャルリはその成功の道をなおも進んでいく。
*1:文春新書