じじぃの「科学・芸術_90_御成敗式目の制定(北条泰時)」

【感々学々】激論!日本の民主主義に将来はあるか[桜H24/7/27] 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EHvRWmq7z2I

封建制度をやさしく語ります
封建制度は日本では平安時代に武士の世界ではじまり、鎌倉時代から江戸時代まで(19世紀半ば)、ヨーロッパでは中世(5世紀)から近代の初め(19世紀半ば)までの期間における政治、法制、経済制度です。
中国では周の時代(紀元前11〜紀元前3世紀)は封建制度ですが、それ以降はほとんど封建制度は起用されず郡県制度です。
http://umenoyaissei.com/houkenseido.html
御成敗式目(ごせいばいしきもく) コトバンク より
貞永式目』ともいわれる。鎌倉幕府が,貞永1 (1232) 年に制定した武家に関する法律。 51ヵ条。制定者は執権の北条泰時を中心に,評定衆のなかで法理に明るい太田康連らが加わった。承久の乱後,武士の所領関係の訴訟,特に地頭と領家の貴族社寺との争いが激増したため,成文化された法の制定が決意された。

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林修今でしょ!講座◇特別企画「東大法学部・林修VS東大歴史学者本郷和人の三本勝負大河ドラマの主役にしたい本当にすごい偉人SP」 2016年12月27日 テレビ朝日
【プレゼンター】林修本郷和人 【学友】高橋英樹 宇治原史規 宮崎香蓮
今回は、歴史の新事実を学ぶ豪華2時間SP!林修と東大の日本史教授・本郷先生がプライドを懸けてプレゼン対決!『大河ドラマの主人公にしたい本当にすごい戦国武将』あまり有名ではないが、実はスゴかった武将や武士をプレゼンする大好評企画!今年は真田幸村、再来年は西郷隆盛が主人公として登場する大河ドラマだが、果たして林修が推したい偉人とは!? 教科書には載っていない魅力やエピソード、面白い裏話を熱く語る。
●「本多忠勝」(本郷先生) vs「北条泰時」(林)
本郷先生は57戦無敗という忠勝の最強武将ぶり、織田信長豊臣秀吉徳川家康を惚れ込ませた豪傑伝説を猛アピール。一方、林は「武家史上最高」だという泰時の政治手腕について、つまびらかにする。
北条泰時鎌倉時代前期の武将。北条義時の長男。鎌倉幕府第3代執権。鎌倉幕府北条家の中興の祖として、御成敗式目を制定した人物で有名である。稀代の名執権と謳わる。
1183年、北条義時の長男として生まれた泰時。その泰時が11歳のころ、腹違いの弟が生まれた。泰時は長男だったが側室の子だったため、後継者になることができなかった。跡目争いに勝利した泰時に、弟は逆らい続けたという。

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『激論 日本の民主主義に将来はあるか』 岡崎久彦長谷川三千子/著 海竜社 2012年発行
近代デモクラシーの誕生 (一部抜粋しています)
岡崎  トラヴェリアンの英国史では、封建主義は専制主義(デスポティズム)の対極にある。封建主義は時として暴政(ティラニー)でもあるし、あるいは、混乱(アナーキー)でもあるかもしれないが、専制ではない、と書かれています。権力が分散しているという意味で専制とははっきり違うのですね。
長谷川 そう。そして単に権力が「分散している」という量的な面ばかりでなく、それぞれの権力がその地に根をおろし、土着の慣習に支えられ、かつ制約されている――そうした質の面が重要でしょうね。
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岡崎  『古事記』の国譲りの神話というのは、話し合いで国家権力を渡してしまうという世界でも例の少ない不思議な話ですね。その背後に、どういう歴史的事実があったのか知る由もないですが、知りたいですね。トラヴェリアンは、欧州でもはじめは王権に対して封建領主が強かったが、宗教戦争後の近代欧州の列強の時代となって、封建領主の力を抑えて、絶対君主に力を集中するのが、近代国家の生存発展にとって有利だと考えられるようになった、と言っています。
長谷川 そうですね。ここでは深入りしませんが、宗教戦争というものが国家分裂の重大な危機を生み出して、その危機意識から「君主主権」ということが強調されることになります。16世紀フランスのジャン・ボダンがその代表的な論者ですが、このような展開が、近代欧州の国家形成を理解するうえで、とても大切ですね。
岡崎  他方英国は、絶対君主制を取ろうとしたスチュアート応答が倒れてから大陸と異なる道を歩むようになった。ところが、名誉革命の後の英仏戦争で、ラ・オーグの海戦とブレナムの陸戦で英国軍が勝ってから、おやおや議会政治の国もちゃんと戦争ができると分かってきて、英国議会政治に対する大陸諸国の眼も変わってきたと書いてあります。それまでは絶対君主制のほうが、戦争や外交に有利だと思われていたのですね。
岡崎  ところで、日本の東国武士団が英国と似ている点として1232年の御成敗式目も、その基礎には、コモン・ローと同じような慣習法がありました。イギリスで、コモン・ローが、それまでのローマ法とは別の慣習法であったように、武家社会でも、奈良・平安時代律令(律は刑法、令は行政法民法に相当)とは別に、土着の慣習法がありました。それをもとに。執権・北条泰時御成敗式目を作りました。そういう意味では、イギリスと日本は発展段階がよく似ています。武家社会には合議制もありました。執権と有力御家人13人で評定衆を組織して、51ヵ条からなる御成敗式目の条文に沿って政治をやる。しかも多数決です。執権が1人で決めるシステムにはなっていない。