じじぃの「科学・芸術_80_北京原人・カニバリズム」

Peking Man Documentary 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qOCoGUDB1y8
北京原人ホモ・エレクトゥス

北京原人ジャワ原人は絶滅したのでしょうか。 2013/7/3 Yahoo!知恵袋
アジアのホモ・エレクトス(北京原人ピテカントロプス)はホモ・サピエンスの直接の先祖ではありません。
アジアではホモ・サピエンスホモ・エレクトスとの関係はどうだったかは判然としないのですが、知力も技術も圧倒的に有利なホモ・サピエンスに彼らが太刀打ちできる可能性はほとんどなく、ホモ・フローシエンシスのような例外を除いて、ホモ・エレクトスは簡単に絶滅させられてしまったのでしょう。彼らはホモ・サピエンスとは余りにも違うので、交配することなど全くなかったと思われますが、たとえ交配したとしてもその子供は生殖能力はなく、彼らの遺伝子が現代に伝えられることはなかったはずです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11109752801
中国では食人の風習
支那カニバリズム
作家の黄文雄小室直樹カニバリズム(人食い)が中国の文化の特徴だと述べていた。
孔子は弟子の子路が斬り殺されて切り刻まれ「なます」にされたとき、塩漬肉を食べるのを断ったという。
また、ある村に役人が巡察にやってきたとき、貧しい家の娘がもてなすのに自分を食べさせたという。
これは夜伽ではなく、油をたぎらせた大鍋に裸身で飛び込んで自らを空揚げにしたのである。こういう記録がいっぱい残っているのだ。
正史にさえ、飢饉の時は共食いが行われたことが百回以上も記録されている。
北京原人の化石にさえ、骨が焼かれた痕跡があるので共食いが推測されている。
http://sound.jp/sodaigomi/ch/syokujin/syokujin.htm
『教科書には載せられない歴史のタブー』 歴史ミステリー研究会/編 彩図社 2014年発行
仲間の脳を食べた北京原人の洞窟 (一部抜粋しています)
中国・北京市の南西およそ54キロに周口店(しゅうこうてん)という洞窟がある。
「周口店古代人類文化遺跡」として世界文化遺産にも登録されており、北京市内からバスで約2時間という近さもあって、毎年多くの観光客が訪れるスポットとして有名だ。
その周口店の北西部に、竜骨山というまんじゅう型の山がある。
南側の斜面から周口店ののどかな風景が一望できるこの山から、1929年、北京原人の頭蓋骨が発見された。
その後の調査により、周口店一帯は約25〜50万年前に、北京原人の生活の場であったことが明らかになる。
現在、周口店の博物館前の広場には北京原人の模型が飾られている。
眉の下の骨(眉梁)が出っ張り、頬骨が高くて顎が目立たず、ヒトというよりサルのイメージに近い。
おそらく、わずかな言葉のようなものを口にすることで互いにコミュニケーションをとっていたと考えられる。
洞窟の中には火を使った形跡も発見されており、火を燃やすことで暖をとったり、狩猟で得た動物の肉をあぶって食べるなどの行動をしていたと推測できる。
しかし、それだけではない。彼らは現代人には想像もできない、ある習慣を持っていたのだ。
そのことを教えてくれたのは、じつは発掘された頭蓋骨に開けられた穴である。
発見された頭蓋骨の多くには、ある特徴がある。頭蓋底の部分が壊され、穴があいているのだ。
多くの研究者は、おそらくそれは脳味噌を取り出すためのものであると考えている。
だとすれば、北京原人は何のために脳味噌を取り出したのだろうか。
ひとつの仮説として考えられているのは、こんな光景である。
仲間の誰かが死ぬか、あるいは他の集団と争って相手を殺すと、北京原人たちはその死体が新しいうちに頭部に群がった。
狩猟によって鹿などを捕らえて食料にしていた北京原人にとって、当然のことながら食料は貴重品である。
狩りが成功すればいいが、失敗すれば食べ物にはありつけない。そんなかれらにしてみれば、仲間の死は、狩猟せずに食料が手に入ることを意味していた。
すでに石器を作って使いこなしていた彼らは、石器を使って頭を切り開き、頭蓋骨の底に部分に穴を開けた。
頭に穴が開くと、彼らはなんとそこから脳味噌を取り出し、それを自分の口のなかに入れたのだ。
それが彼らにとって重要な食習慣である、人間の脳味噌が美味なもの、栄養価の高いものだということを知っていたと考えられている。