じじぃの「科学・芸術_65_華僑・南シナ海と九段線」

最新》南海判決:中國九段線内主權聲索無效 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=gJ4DMsieAV8
バンコクのチャイナタウン (globe.asahi.com HPより)


インドネシア 「九段線」否定の新方針言及せず 中国側の圧力を受けて“沈黙”した可能性 2015年11月23日 ぴーぶろぐ
東南アジア諸国連合ASEAN)は21日、マレーシアの首都クアラルンプールで首脳会議を開いた。
会議関係者によると、南シナ海情勢をめぐり中国と領有権を争うベトナムやフィリピンが中国による人工島の建設などに懸念を表明した一方、カンボジアが「当事国同士による問題解決」を主張、ASEAN内の意見の隔たりをあらためて示した。
まあ、足並み揃えて中国包囲網は、そうは簡単にいかないよな。
インドネシアシンガポール、マレーシアは華僑が強い。
http://powchanel.blog.jp/archives/245061.html
『華僑烈々 大中華圏を動かす覇者たち』 樋泉克夫/著 新潮社 2006年発行
目まぐるしい買収、渦巻く欲望、絡まる人脈――余福強をめぐる人々 (一部抜粋しています)
1990年代半ば頃の話だ。当時、盛んに「成長のアジア」といわれ、東アジアこそが世界経済の牽引役だなどと持てはやされていた。同時に華人起業家の活発なパフォーマンスに内外の注目が注がれるようになった。ちょうどその頃、シンガポールの株式業界に若手で無名ながらやり手の投資家が突如として登場し、豊富な資金を背景に企業買収を華々しく展開したことがある。
インドネシア華人社会出身のその男の名前は余福強(スカムト・シィア/1959年生れ)。彼の豊富な資金は、どこから生まれたのか。当時、誰もが首を捻った。今彼を取り巻き、彼とかかわった人々の姿を改めて追ってみると、華人起業家を取り巻く国境を越えたヒトとヒトの結びつき、まるで商場を賭場と見立てるかのような、激しい商戦の実態が浮かびあがってくる。
余福強の祖先は広東省潮州普寧県の出身。これは福建省出身者が圧倒的多数を占めるインドネシア華人社会では極めて異色である。もっとも、当時、彼はすでに、シンガポール国籍を取得していたようだ。
伝えられるところでは、シンガポールの豊隆(ホンリョン)集団を率いる郭令明(クエック・レンベン)、マレーシアの成功(ブルジャヤ)集団総師の陳志遠(ビンセント・タン・チーユォン)、シンガポールの弁護士事務所・李与李律師楼の創始者で知られる李金耀の息子にあたる李浩楊などがビジネスの親友だというが、真偽のほどは確かめようがない。だが、クエック・レンベンはともあれ、ビンセント・タンは強引な手法で知られ、李浩楊はいくつかの企業買収で共同戦線を張った。これらの点からすれば、彼の資金と知恵の出処は、この3人と考えてもあながち間違いではないだろう。
もう一つの重要な後ろ盾としては、インドネシアでタマラ銀行やビラ銀行の大株主であり、シンガポールに投資会社のラウ・サンズを持ち、建築と不動産開発を進めていたアタン・ラティエツを挙げる声もある。じつは、彼の夫人の父親、つまり彼の義父に当たるのが、このアタン・ラティエツなのだ。
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「成長のアジア」の時代が最も輝いていた95年前後、シンガポールを中心に、なにやら胡散臭いがバイタリティー溢れる若手の華人起業家が派手な企業買収を演じていた。余を中心として、主役や脇役、それに適役たちの背景を追ってみると、シンガポールだけでなく、インドネシア、マレーシア、タイ、中国、香港、台湾もまた彼らの商戦の戦場だったことが見て取れるだろう。
彼らの企業買収劇は、97年夏の「アジア通貨危機」で第1幕を閉じる。あれから10年ほどの時が過ぎた。彼らによる第2幕が演じられることは、もうないのだろうか。