じじぃの「科学・芸術_51_デモクリトス(原子論)」

Democritus And Atomic Theory 動画 YouTube
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デモクリトス

『人間の歴史〈2〉』 M・イリーン、E・セガール/著、作袋一平/訳 岩波少年文庫 1986年発行
デモクリトスについて より
空にある一つ一つの星、地にある一つ一つの砂、それらはすべてこの原子からできている。
はじめて、このことを人びとに語ったのは、偉大なデモクリトスであった。
この人は、トラキアの都市、アブデラの生まれ、とつたえられる。
父はダマシュポスといって、市民のあいだでたいへん人望があった。財産もあり、お客ずきであった。
いつかの遠征のとき、ペルシャ王クセルクセスがダマシュポスのやかたにしばらくとまっていたことがある。王はマゴス、つまり学者をいく人かおともに加えていた。アブデラ市をひきあげるとき、ダマシュポスの子どもたちに学問を教えるため、王は数名のマゴスをやかたにのこしていった。
デモクリトスは少年のころ、このマゴスから教育をうけた。
マゴスがものをみる目は、ギリシャ人とはちがっていた。神を信じる人はおろか者だ、とマゴスは考えていた。マゴスは2つの世界があることを教えた。1つは大世界で、これは宇宙のこと。もう1つは小世界で、これは人間のことである。
デモクリトスはまたマゴスから、インドの学者の説をもきくことができた。それによると、どんなものもごくちいさい粒子――点からできている。点から直線が生じ、直線から平面が生じ、平面から物体が生じる。
デモクリトスにはもうひとり、べつの先生があった。この先生がギリシャの学問の奥義をデモクリトスにつたえた。
この先生はレウキッポスといって、デモクリトスの親友でもあった。
デモクリトスはこの先生から、物質は世界の根源である、というミレトスの哲学者たちの説を知った。
ダマシュポスが亡くなると、デモクリトスはアブデラ市ゆびおりの資産家になった。父はかれに千タラントという巨万の富をのこした。
デモクリトスは、もしその気があるのなら、名誉と権力をたのしみながら、わが家でゆうゆうとくらすことができたであろう。かれはアルコンにえらばれた。アルコンというのは、都市国家の最高官のことである。かれの名と竪琴をきざんだお金さえつくられた。
デモクリトスはふるさとにとじこもってはいなかった。知識をもとめて、世界をめぐる旅に出た。
「かしこい人間には、すべての土地があけはなしになっている」と、かれはいった。
ながい年月をかけて、かれは遠い国ぐにを歩きまわった。エジプトにもいったし、バビュロンにもいった。エジプトの神官にも、バビュロンのマゴスにも、またインドの学者にもあった。
しかしかれのいちばんいい先生は自然であった。かれはこう書いている。
「わたしはずいぶんひろく歩きまわった。どんなつまらないことも研究した。天と地のはてのはてまでもながめた。たくさんの学者の話をきいた」。
進んだ人とおくれた人について より
デモクリトスほどの知恵者でさえ、迷信とたたかいながらも、なおそれからぬけだすことはできなかった。かれは語る――
「むかしの人は、魔法つかいが天から月と太陽をとりはずすことができる、と考えていました。だから今日でもたいがいの人が日食や月食のことを『とりはずし』などといっているのです」。
デモクリトスは自然の法則にかなった説明を見つけようと、ずいぶん努力した。だが真理に近づくことはなかなかむつかしかった。
どうしてねたみぶかい人にはいやな目があるのか、とデモクリトスは考える。それはきっと、わたしたちをつらぬいて、害をあたえるような、わるい光線、わるいまぼろしが目からとびだすからにちがいない。
どうしてわたしたちはお告げのゆめをみるのか。それはわるいまぼろしあるいはいいまぼろしが、ゆめのなかにはいってくるからである。
そういうまぼろしはゆうれいのようなものではない。それは物質から分離した空気の原子である。原子が目にはいると、人間はなにかをみる。原子が耳にはいると、人間はなにかをきく。
デモクリトスのものの考えかたは、そのときから2400年もたった今では、その多くがいかにもそぼくで、単純にみえる。原子はかれが考えたようなものではない、ということをもうわたしたちは知っている。原子の作用を説明するのしても、それをツルとくらべたり、広場の群衆とくらべたりはしない。
鳥には鳥の法則があり、ギリシャの都市の人びとには、その人びとの法則がある。原子にも、そういう法則とはまったくちがう法則がある。
それにしても今日の学問がデモクリトスの教えをうけついでいる点は、すくなくない。
いまにつたわるデモクリトスの本の断片をよむと、時の流れもかき消すことができなかった黄金の思考が、そこにもここにもきらめいているのが目にうつる。
デモクリトスの考えた原子が、今日の原子とはちがって、分割されて、つきることのない原子である。しかし目にみえない微粒子の世界へすすむ道は、デモクリトスによって正しくさししめされている。
運動の永続性、宇宙の無限性、世界の多数性、いちばん順応性の強い動物の生きのこり説……いまの学問もそううけとっているそのような考えかたは、デモクリトスにはたくさんあった。