じじぃの「あるスーパーでの小さな出来事・レジの打ち間違い!平気でうそをつく人たち 」

ダン・アリエリー 「不合理な行動」 動画 TED
https://www.ted.com/talks/dan_ariely_on_our_buggy_moral_code?language=ja

レジ打ち間違い。何円以上で、クレーム付けますか? 2009/6/13  Yahoo!知恵袋
回答
スーパーで働く者としては、クレーム(喧嘩腰のもの)を受けると少なからず嫌な気分になったり落ち込んだりする事を知っているので、私が客側の立場でも決して声を荒げたりしません!笑
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327223208
世界のドキュメンタリー 「(不)正直な私たち 〜“ウソ”を巡る“本当”の話〜」 2016年8月31日 NHK BS1
【案内人】ダン・アリエリー教授 2015年 アメリ
人はなぜウソをつくのか?この根源的な疑問に様々なケーススタディで答えるドキュメンタリー。ウソのハードルを下げる心理的、社会的なファクターをユーモラスに紹介する。
企業によるデータ改ざん、ドーピングを否定するスポーツ選手、政治家の嘘といったものから、日常的なスピード違反まで。人は日々ウソをついている。ウソの背景に社会的なルールが存在することを実証し、ウソをつく心理を分析する。また、八百長に加担した元NBA審判、長年巨額のインサイダー取引を続けたトレーダー、不倫していた一般女性などが、いかにして自分の不誠実な行動を“正当化”していたのかを正直に語る。
たとえば大学院卒と詐称する重役が、便箋のレターヘッドや名刺、履歴書、ウェブサイトなどでいつも学歴を詐称していると、そのうち経費報告書のごまかしや、ビラブルアワーの水増し、公金濫用などに走ることは、想像に難くない。
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=160831
『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』 M・スコット・ペック/著、森英明/訳 草思社 1996年発行
悪の心理学の危険性 (一部抜粋しています)
邪悪な人間の特性として、他人を道徳的に邪悪であると批判することがあげられる。自身の不完全性を認識できないこうした人間は、他人を非難することによって自分の欠陥の言い逃れをせざるをえない。また、必要とあれば正義の名において他人を破滅させることすらこうした人間はする。これは、聖徒迫害、宗教裁判、ナチのユダヤ人大量虐殺、ベトナム・ソンミ村事件といったものにその例を見ることができるものである。われわれが他人を悪と決めつけるときには、われわれ自身が別の悪を犯しているかもしれない、ということを十分意識する必要がある。「裁くなかれ、なんじ自身が裁かれざらんがために」というキリストの言葉は、無神論者や不可知論者ですら知っているものである。
悪とは道徳的判断によって規定されるものであるが、これを科学的判断によって規定できないか、というのが私の提言である。とはいえ、科学的判断を行うということは、その判断を道徳の世界から分離することではない。悪という言葉は軽べつ的な言葉である。純粋に自分の判断にもとづいてであろうと、あるいは標準化された心理学テストにもとづいてであろうと、人を悪と呼ぶときには、いずれにしても、相手にたいして道徳的判断を下していることになる。科学は十分に危険なものであるが、道徳的判断もまた危険なものである。この2つをいかにしてキリストの訓戒に照らして混合すべきであろうか。
しかし、この問題をさらにつきつめて考えてみれば、道徳的判断を完全に控えるのは不可能なことであり、また、それ自体が悪だということがわかる。「私も善人、あなたも善人」といった言い方は、われわれの社会生活を容易にするうえである種の役割を果たしているものではあるが、しかし、それは単にひとつの役割にすぎない。ヒトラーは善人だったろうか。カリー中尉はどうだろか。ドイツのユダヤ強制収容所で行われた医学実験はいいことだったのだろうか。CIAの行ったLSD実験はどうだったろうか。
われわれの日常生活に目を向けた場合にはどうだろうか。かりに私が人を雇うとして、最初に応募してきた人間を受け入れるべきか、それとも、何人かの応募者と面談して判断すべきだろうか。自分の息子がうそをつき、盗みを働いていることを知りながら息子を批判しなかったとしたら、私はどういう父親だろうか。自殺を考えている友人、あるいはヘロインを密売している患者にたいして、私はどう言ってやるべきだろうか。「あんたはいい人間だ」と言うべきだろうか。過剰な同情、過剰な容認、過剰な寛大さといったものも世の中にはある。

                    • -

どうでもいい、じじぃの日記。
先日、古本屋に寄ったら、『平気でうそをつく人たち』という本があった。
そういえば、私の人生は「平気でうそをつく」人生だった。
今だからいうが、履歴書詐欺である。
どうしても同じ場所で働いていると、気まずくなってしまう。いくつか会社を間引いて書いたのだ。その分、経歴欄に書いた期間は長くなっている。
昨日、スーパーで些細なことがあった。
スーパーで買った「山崎 アップルパイ」がレシートに記載されていなかったのだ。
駐車場に戻ってから気づいた。
スーパーに戻って、「記入されていませんよ」と言うべきなのか。
昔だったら、もうけた気分になっただろう。
ある本に書かれていた、「お天道様が見ている」というのを思い出した。
しかし、罪悪感を持ちながら、そのまま家に帰ってしまった。