じじぃの「科学・芸術_35_認められぬ病」

祈りの手

NHKドキュメンタリー 時空を超えて 「人間にとって“神”とは何か?」  2016年4月15日 NHK Eテレ
【語り】モーガン・フリーマン
脳の中に電気信号を生み出す。脳が神を感知したら神は実在するのでしょうか。
ペンシルベニア大のアンドリュー・ニューバーグは、宗教が人間の脳に及ぼす影響について調べている。
脳の画像撮影。祈りを行う場面中に点滴で造影剤を入れる。祈る前と祈りの最中での血流の違いを調べる。
キリスト教徒は、祈りにより前頭葉と言語領域が活発になる。
仏教徒は、瞑想により視覚野が活発になる。
だが、無神論者が祈っても瞑想しても脳の活動が起きない。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3452/1988002/index.html
「いのちの日記」 柳沢桂子 著 より
発病を1969年とすると、30年間、どの大病院でも診断のつかなかった病気を■■先生は、たった一回の往診で治して下さった。
私の病気は、神経伝達物質の中のセロトニンノルアドレナリンが不足しているのだという。抗うつ剤には、このような神経伝達物質の見かけ上の量を増やす働きがあるので、効果があるということだった。
その後、2000年代になって、アメリカから新薬が入ってきて、それまでの抗うつ剤よりももっと的確に効く薬を使えるようになった。大塚先生も徐々に抗うつ剤をこのような新薬、トレドミンパキシルと置き換えて下さり、現在では、これらの薬を服んでいる。
http://www.tvk.ne.jp/~junkamo/new_page_435.htm
『認められぬ病―現代医療への根源的問い』 柳澤桂子/著 中公文庫 1998年発行
神の前に、神とともに、神なしに生きる (一部抜粋しています)
最初に手術を受けてから、丸12年の歳月が流れた。あの時にこうして歩けなくなることを知ったら、その運命を受け入れられなかったのではないか。徐々に進行したからこそ、誰にも先が読めなかったからこそ、ここまでこられたのかもしれない。
けれども、なぜ歩けなくなったのであろう。いくつもの病気が同侍に進行していた。いや、ひとつの病気がつぎの病気を誘発したのかもしれない。子宮内膜症。胆嚢の腫瘍、腹部てんかん。しかし、どの病気も歩けない原因になるとは考えにくい。
自覚的には抗コリン剤を多量に服用してから、しだいに歩けなくなったと感じてきた。胃や胆嚢が伸びてしまったことは、何を意味」するのだろうか。抗コリン剤は内臓筋肉の弛緩剤でもある。血管を含めた全身の内臓筋肉が弛緩してしまったのではないのだろうか。
人間が立つためには、体内でいろいろな調整がおこなわれなければならない。心臓から全身に血液を送ることだけを考えても、寝ているときと立っているときとではたいへんな差があるはずである。ところが、からだは瞬時に血圧や脈拍をコントロールする。そのコントロールをつかさどるのが自律神経である。
自律神経には、交感神経系と副交感神経系がある。抗コリン剤は、副交感神経の働きを抑制する神経毒である。このようなものを長期に多量に服用しつづけることによって、微妙な神経のコントロールに、変調をきたすことはないのであろうか。
私のように潜在的に脳幹に異常がある場合、あるいは先天的に起立性低血圧症で、血圧のコントロールの悪い場合に、とくに薬の副作用が強く出るということはないのであろうか。
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すんでしまったことはどうでもよい。ひとつの症例として、私に起こったことが、あとからくる人の治療に少しでも生かされればと願った。
人間にわかることはかぎられている。それを超えてしまったときには、どうすることもできない。医学の限界を超えたところでは、自分でその苦しみを受け入れるしかない。人間であることの苦しみを苦しみ抜かなければならない。
私は宇宙の中で、人間が何と小さく力のない存在であるかを思った。その小ささを強く感じれば感じるほど、それを包み込むものの大きさを感ぜずにはいられなかった。偉大なもの、それを神と呼ぶべきか。
その神にいくら呼びかけても答えてくれない。いくら祈っても病気を治してくれない。その苦しみをすべて自分で背負って、しかもそれでもさらに大きな力の存在を感ぜずにはいられなかった。
ドイツの高名なキリスト教神学者ボンヘッファー「神の前に、神とともに、神なしに生きる」ということばが大きな力となって、私の心を抱きかかえた。