じじぃの「人の生きざま_671_有森・裕子(女子マラソン・メダリスト)」

有森裕子

有森裕子陸上競技) - オリンピアンズ・ストーリー JOC
有森裕子(ありもりゆうこ)1966年岡山県生まれ。
女子マラソンバルセロナオリンピック銀メダル、アトランタオリンピック銅メダルを獲得。2007年2月、東京マラソン2007でプロマラソンランナーを引退する。1998年にNPO「ハート・オブ・ゴールド」を、2002年4月にアスリートのマネジメント会社「ライツ」を設立。現在、国際陸上競技連盟女性委員、日本陸上競技連盟理事、国際人口基金親善大使などを務めている。
http://www.joc.or.jp/column/athleteinterview/olympiansstory/200803olympiansstory.html
別冊宝島 2016年発行
五輪スターたちの敗れざる「人生劇場」 有森裕子(マラソン) 名ランナーが守り続けた「ゲイの夫」との15年 (一部抜粋しています)
1992年のバルセロナ五輪で銀、そして1996年のアトランタ五輪では銅メダル。日本女子陸上界に燦然と輝く結果を残した名ランナーと言えば女子マラソン有森裕子である。
名伯楽・小出義雄監督に見い出され、リクルート陸上部時代には1日70キロもの走り込みをしていたという伝説を持つ有森。
「何ごとも信念をもって打ち込む人で、自分が信じた考えや信じた人に対しては、とことん最後までついていった。小出監督と最も相性のいい選手だったと思います」(当時のリクルート関係者)
1992年に銀メダルを獲得すると、有森は一躍陸上界のスター選手になった。しかし。有森は故障に苦しみながらも、あと一歩のところで届かなかった「メダル」に再度挑戦することを宣言。ストィックな生活を維持する。
1996年のアトランタ五輪では、4位の選手にあわやゴール寸前で抜かれそうになる3位。しかし、その全力を出し切った走りが日本人に与えた感動は前回のバルセロナ以上で、「初めて自分で自分をほめたいと思います」というレース後のコメントは、20年が経過したいまも、しばしば引き合いに出されるほど有名なフレーズとなった。
そんな有森が世間の「好奇」の視線にさらされたのは1998年のこと。
有森はコロラド州の語学学校のパーティで出会ったアメリカ人男性、ガブリエル氏と結婚を発表。しかし、陸上界のスター選手と、職業のはっきりしない米国人男性の組み合わせは奇妙で、日本の週刊誌はガブリエル氏の過去の「金銭トラブル」などを奉じていた。
しかし、週刊誌記者もたまげるもっと大きな「爆弾」が飛び出した。ガブリエル氏本人が記者会見の席で、こう述べたのである。
「アイ・ワズ・ゲイ……」
     ・
前出の関係者が語る。
「正直なところ、すぐに離婚するのではないかと思っていましたが、そうはならなかった。あのときは有森に女性の維持があったんだと思います。特に結婚に反対した両親に対してね。そうとしか考えられなかった」
有森と「ガブちゃん」が正式に離婚したのは2011年のことだった。2008年には有森の父が死亡した際には葬儀にガブリエル氏の姿があったが、その後、急速に2人の距離は離れていったのである。
現在、有森は2020年の東京五輪に向け、アンバサダーとして忙しい日々を送っている。その強靭な「信念」はいまも揺らぐことはない。