じじぃの「人の生きざま_650_アンネシュ・ブレイビク(ノルウェー連続テロ事件・極右主義者)」

Nationalist demo held in Moscow 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-f3QRLSKO3E

アンネシュ・ベーリン・ブレイビク ウィキペディアWikipedia) より
アンネシュ・ベーリン・ブレイビク(Anders Behring Breivik, 1979年2月13日 -)は、2011年7月22日にノルウェー連続テロ事件を起こした容疑で2015年現在勾留中。単独犯としては現在世界最大の大量殺人犯である。
キリスト教との関係】
15才の時に堅信礼を受けた。犯行の2年前、インターネット上で現代プロテスタント教会への不満を漏らし、カトリック教会への集団改宗を 呼びかける書き込みをしていた。
ネット上に投稿したマニフェスト文書ではイエス・キリストと神と個人的な関係を結べる人は宗教的なキリスト教徒であるが、自分や多くの人は文化的・社会的な意味でのキリスト教徒と呼ばれている、としている。

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『世界の仰天事件プロファイリング』 鉄人社 2012年発行
エスカレートした思想が生む大量殺人 77人殺しても無罪放免!? ノルウェー連続テロ事件 (一部抜粋しています)
人間の体を動かすのは筋肉だ。そして、それを司るのは欲求であり、思想でもある。その思想が間違った方向にエスカレートすると犯罪につながる――。
まるでそんな考えを実証してみせるような事件が「ノルウェー連続テロ事件」だ。
容疑者は極右主義者のアンネシュ・ブレイビク 32才。
2011年7月20日、彼はまず首都オスロの中心部に建つ政府庁舎をターゲットに定め、自動車に設置した爆弾で攻撃。政府庁舎だけでなく石油エネルギー庁舎も破壊して8人を殺す。
その日のうち、次なるターゲットを求めオスロ近郊にあるウトヤ島に向かう。当時ウトヤ島ではノルウェーの与党ノルウェー労働党青年部の集会が行われており、10代の青年約700人が参加していたのだ。警察官の制服を着たブレイビクは、上陸すると参加者を並べ銃を乱射した。その後も逃げ惑う青年たちに対して約1時間半乱射。69人が死亡した。
この大量殺人を犯したブレイビクとはどんな人物なのか。
1979年にオスロで生まれたブレイビクは高校時代に不良グループに入り、夜中に町中をうろつき、スプレーで落書きをするといった飛行を重ねる。16才のとき、落書きで逮捕、成人すると21才のとき、顧客サービスの仕事に就く。
勤務態度はまじめで、誰にでも親切だと評判も良かったようだ。しかし中東やアジアから移民してきた同僚にはいら立ちを見せることも多かったらしい。
1999年から2004年までは右派政党である進歩党の党員として活動。進歩党は移民受け入れを推進するノルウェー労働党と違い、反移民政策を掲げており、ブレイビクはそんな政策に同調したものと考えられる。
しかし進歩党は、選挙による勢力拡大を目指し始め、穏健路線に変更してしまった。ブレイビクは弱腰とも思える政策転換に落胆したのだろう。2009年には進歩党から脱退し、ヒトラーが率いた「ナチス」の思想を肯定する「ネオナチ」のサイト会員となっている。
このように20代後半から徐々に極右思想のはまっていくブレイビクはカトリック信者であり、狂信的な「キリスト教原理主義者」でもあった。そんなブレイビクにとって許し事ができないのは「イスラム教」であり宗教を否定する「マルクス主義」だった。
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ただブレイビクが、どうしてそこまで極端な右派思想にそまったのかは不明だ。テロも単独による犯行とみなされ、組織が彼を扇動したというわけでもない。また危険思想を周囲に漏らすこともなく、普段は善良なノルウェー人を装っていたらしい。
となれば、ブレイビクの半イスラム、反移民の考えは個人的なものであり、その原因は自己中心的な社会への不満、もしくは巧くいかない生活に対する鬱憤の転嫁と考えることができる。
現在、日本でも「ネット右翼」が存在する。中には冷静な眼で政治に対する不満を提起する人もいるが、多くは荒唐無稽ともいる日本賛美であり、現政権や中韓へのパッシングである。
今のところ彼らはネットへの書き込み以上の行動を起こすことなく、せいぜい「反韓流」のデモを行うくらいだが、組織がエスカレートすればブレイビクのような過激行動を起こさないとも限らない。
驚くのは、裁判で精神鑑定の結果、ブレイビクが総合失調症と判断され責任能力はないとの結論が出されたことだ。再鑑定が行われるようだが、もし同じ結果なら無罪放免になってしまうのだ。
死刑制がなく、最高で禁固30年の刑罰しかないノルウェーで、刑事責任の再検討を求める声が上がっている。